例えば、ビールではないが、富士山の山頂には自販機がある。そこで販売されている500ミリリットルのペットボトル飲料の価格は500円だ。280ミリリットルの缶が400円。フツーに考えればえらく高い。しかし、運搬コストもかかっている。いや、そんなことを考える前に、多くの登山客はのどの渇きを癒やすために購入する。なぜなら、ほかに売っていないからだ。
ビールに話を戻そう。ほかに買う手段がない場所でのビールの価格。例えば映画館。TOHOシネマズはコンセッション(売店)で係の人がビアサーバーで入れてくれる生ビールが1杯500円。例えば野球場。東京ドームは売り子のお姉さんが背中のタンクからディスペンサーで注いでくれる生ビールが800円。
街中の価格からすればどちらも高いが、顧客は惜しげもなく購入する。原則的に場内には持ち込みが禁止で他に買う手段がないという理由もある。しかし、それなら飲まなければいいのだ。富士山の山頂にたどり着いて飲料を求めるほどの肉体的渇望感はないはずだ。だが、映画を観ながら、野球を観戦しながら、ついついビールが飲みたくなる欲求には抗えない。その欲求が充足されるという「価値」があるから買ってもらえるのだ。顧客がいくらまでなら払ってもいいかを考えて設定する価格を「需要志向の価格設定」という。 500円や800円は十分需要価格の範囲内なのだ。
では、機内という環境はどうかというと、実は1000円のビール以外にもビールは存在する。ANAでは、以前のコラム「ANA My choiceに学ぶ:値下げ&無料時代の逆張り」でも紹介したが、ANA国内線の新サービス「ANA My Choice」の有料メニューとしてスターバックスのコーヒー300円などとともに、缶ビールが500円で販売されている。つまり、生ビールの半額。単に「ビールが飲みたい」という欲求を充足させるならそちらでもいい。
しかし、「ビール」という対象物(ウォンツ)を手に入れたいというニーズの根源を考えるなら、空の上、飛行機の中という非日常的な空間で、さらに気分のいい時間を過ごしたいということになるだろう。そんな時に、「この夏、世界初となる航空機内での樽生ビール独特のクリーミーな泡とキーンと冷えたビールの味わいをANA国内線の空の旅でお楽しみください」(同社ニュースリリース)などと誘われたら、つい「1杯ください!」と言ってしまうだろう。
もし、自分が普通の500円の缶ビールで我慢したとして、隣の乗客が生を注文し、うまそうに飲んだら……と考えればなおさらだ。それに何しろ1便20杯(一部大型便では40杯)限定なのだ。躊躇(ちゅうちょ)していては売り切れる。
つまり、「需要志向の価格設定」には、顧客がその商品にどれくらい価値を感じてくれるのかという「カスタマーバリュー」を想定することが欠かせないのである。
ほかに手に入れる手段がない飛行機の中という空間で、缶ビールは500円。それより、スペシャルな生ビール20杯限定が倍の1000円。それが安いか、高いかは顧客の価値観に依存する。筆者は自らの価値観からすると、この1000円の生ビールは大人気になると予想している。
ただ、Yahoo!ニュース意識調査では、「高い」が73%、「妥当」が26%となっている。筆者の感覚がおかしいのか……。
東洋大学経営法学科卒。大手コールセンターに入社。本当の「顧客の生の声」に触れ、マーケティング・コミュニケーションの世界に魅了されてこの道 18年。コンサルティング事務所、大手広告代理店ダイレクトマーケティング関連会社を経て、2005年独立起業。青山学院大学経済学部非常勤講師としてベンチャー・マーケティング論も担当。
共著書「CS経営のための電話活用術」(誠文堂新光社)「思考停止企業」(ダイヤモンド社)。
「日経BizPlus」などのウェブサイト・「販促会議」など雑誌への連載、講演・各メディアへの出演多数。一貫してマーケティングにおける「顧客視点」の重要性を説く。
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