インタビュー
» 2010年07月02日 08時00分 UPDATE

35.8歳の時間・松本大:数十億円のカネを捨ててまで、マネックス証券を設立した理由 (1/6)

ネット証券の草分け的な男として活躍してきた、マネックス証券の松本大社長。米経済誌『フォーチュン』で「次世代を担う世界の若手経営者25人」の1人に選ばれた男は、どのような人生を歩んできたのだろうか。

[土肥義則,Business Media 誠]

連載「35.8歳の時間」とは:

 35.8歳――。これはBusiness Media 誠の読者の平均年齢である(アイティメディア調べ)。35〜36歳といえば、働き始めてから10年以上が経ったという世代だ。いろいろな壁にぶちあたっている人も多いだろうが、人生の先輩たちは“そのとき”をどのように乗り切ったのだろうか。

 本連載「35.8歳の時間」は各方面で活躍されてきた人にスポットを当て、“そのとき”の思いなどを語ってもらうというもの。次々と遭遇する人生の難問に対し、時に笑ったり、時に怒ったり。そんな人間の実像に迫る。


今回インタビューした、松本大氏(まつもと・おおき)のプロフィール

1963年、埼玉県で生まれる。1987年東京大学法学部卒。ソロモン・ブラザーズ・アジア証券を経て、ゴールドマン・サックス証券に入社。当時最年少でゼネラル・パートナーとなる。1999年、ソニーと共同でマネックス証券株式会社を設立。2004年にはマネックス・ビーンズ・ホールディングスを設立、代表取締役社長CEOとなる。


yd_matumoto1.jpg マネックス証券の松本大社長

 ボクは「ワークライフバランス」というのが苦手なんですよ。1日を振り返って、あまり忙しくなかったら、ものすごく後悔してしまう。だから、いつもガムシャラに働いていたいんですよ。

 なぜこのような性格になったかというと、小学5年生のころに遡ります。4歳年上にアニキがいたのですが、いきなり入院し、「小児ガン」と診断されました。ガンが発覚してから、わずか6カ月でアニキは息を引き取りました。そのとき「アニキはまだ生きたいのに、人生から降ろされてしまった。自分はアニキの分まで、生きていこう」と考えるようになりました。2人分を生きるのは難しいかもしれませんが、自分の出せる力の120%、150%、できるなら200%出していこう。こうした意識はビジネスの世界でも、生きているかもしれません。ボクは「ここまでやろう」という目標はセッティングしません。「どれだけできるか」を常に考えています。

――マネックス証券の社長・松本大。ネット証券の草分け的な存在として活躍してきた男は、14歳でこの世を去らなくてはならなかった兄の死が大きく影響しているようだ。

 開成中学、開成高校を経て、東京大学に入学。周囲から見ればエリート街道を歩んでいた松本だが、大学4年生(22歳)のときに“壁”にぶち当たった。

 20歳のとき、阿波踊りを見に、徳島県へと出かけました。ボクは埼玉県で生まれ育ったのですが、それまで本州を出たことがなかったんです。そして21歳のときに、友人と一緒に米国へ行きました。3週間ほどかけて、米国を回ったのですが、とても刺激的でしたね。ただ英会話に自信がなかったので、米国のひとたちとのコミュニケーションは、その友人に任せていました。

 そして大学4年生(22歳)のときには、自主留年を決めました。就職活動をせずに、今度は単独で米国に渡りました。しかし、全く自分の英語が通じませんでしたね。なんとかなると思っていたのですが……自分の話すことを相手が理解してくれませんでした。このことはとてもショックで、気持ちが“ふさがって”しまいましたね。「英語くらいはできるようになりたい」――。そう思い、英会話のテープなどを買ったりしたのですが、気力が湧いてきませんでした。

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