第34鉄 さよなら「昭和顔」の1000形――京浜急行電鉄大師線杉山淳一の+R Style(4/5 ページ)

» 2010年06月25日 23時15分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

くず餅を食し、とんとこ飴を手みやげに

 帰りの電車は大師線の主力、1500形。ちょっと新しめな顔をしている。しかし彼も昭和生まれで、車内には扇風機がある。この電車に揺られて川崎大師駅へ戻った。近くに住んでいながらこれまで訪れる機会がなかった大師様。お参りもしたいけど小腹も空いた。予備知識もなくぶらりとやってきて、なにか名物はないかと案じていたら、駅のそばに観光案内所を発見。弘法大師の案内チラシをいただく。名物は「くず餅」、お土産は「とんとこ飴」というキーワードも耳にした。

川崎大師駅 電話ボックス自体も珍しくなったが、この形も珍しい

 立派な構えのくず餅やさんを見つけたけれど、そこは製造工場で持ち帰りのみ。もう少し歩けばお店がある。その住吉屋総本店は当地のくず餅の元祖という。花びらのようにきれいに並んだくず餅をいただいた。お店で食べるくず餅は、お土産のそれと違って「余ったきな粉の使い道に悩まなくていいな」と思う。でも、食べ終わったときに余った蜜が残念。皿を舐めるわけにもいかず……そうか、最後の一切れをスプーン代わりにして舐めたら良かったんだな。

住吉屋本店のくずもち、並べ方にこだわりがあるらしい。一人前400円

 続いて仲見世通りでとんとこ飴を買う。お参り前だけど、まあいいか。ちなみに「とんとこ飴」とは、長い飴の棒を包丁でトントコ叩いて切るから。訪れた時間は実演していなかったけれど、大きな液晶テレビでビデオを流していた。何回トントコしたら、あんなに大きなテレビを買えるんだろう、とぼんやり考えた。でも計算は苦手だからすぐやめた。

仲見世の飴屋さん

1000形の最期が大師線になった理由

五重塔と祈りと平和の像

 厄よけで有名な川崎大師の「大師」とは「弘法大師」だ。正式名称は「大本山 川崎大師平間寺」という。

 建立のきっかけを作った人は漁師だった。尾張の武士が無実の罪で国を追われ、諸国を流浪の末にこの地で漁師となった。信心深い男で、ある日枕元に僧侶が立ち「唐で私の像を海に流したが見つからぬ。探して供養し、人々を安心させなさい。いいことがあるよ」と言うので、翌朝、海の輝く場所に網を投げたら木像を引き上げた。この逸話を知った高野山の高僧が感動し、漁師とともに寺を建て、漁師の名字から平間寺(へいげんじ)と名付けたという。そんな由来だったら、大漁祈願、商売繁盛にも効き目がありそうだな、と思うのは凡人の浅知恵であろうか。

川崎大師は漁師と高僧が作った

 サカゼンの紙袋が、とんとこ飴で重くなった。広大な大師公園を散歩すれば、ここからは川崎大師よりも東門前駅のほうが近い。嬉しい巡り合わせで、締めくくりの電車は1000形だった。前面に取り付けられた記念プレートに「1959-2010」とあるから、1000形は今年、あるいは今年度で引退ということだろう。かつて京急で356両の最大勢力を誇った1000形も、いまは大師線の4両編成1本と本線の6両編成1本のみ。沿線には最後の姿を撮影する鉄道ファンを見かけた。長大な本線では、どこを走っているか分かりにくい。短い大師線ならすぐにやってくる。京急が大師線で1000形を運行している理由は、お別れに訪れるファンへの粋な計らいなのだろう。

大師公園は野球場などもある広大な公園。川崎市の友好都市、中国瀋陽市から贈られた庭園「瀋秀園」がある

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