キヤノンから中小企業まで……“仕事”基準で会社はこう変わった――人事コンサルタント、前田卓三さん(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(3/5 ページ)

» 2010年06月19日 00時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

新潟県中越地震後の危機を救った仕事基準

 「新潟県の牛乳宅配会社でのケースも、印象深いものでした」と語り出す前田さん。

 「ここは、それまで社員数20人くらいの小企業だったのですが、仕事基準を導入したことで、業績が向上し、今では社員数が400人近くになり、株式上場を視野に入れるまでに成長しました」

 著しい成功の事例だと思われるが、そこにはどんな事情があったのだろうか?

 「ご存じのように、2004年に新潟県中越地震が発生しました。最大震度7の大地震で、道路が各所で寸断され、山古志村を始め、山間部の集落への交通や通信が途絶しましたよね。食料などの救援物資が何日も届かない地域が出るほどでした。

 そんな時に、被災地にある牛乳宅配会社として、この非連続な環境変化にどう対応するかが問われました。

 私は『今こそ“仕事本位制”を貫く時だ』とアドバイスしました。この会社の企業価値は人々の健康を守ることにある。であるならば、それが危機に瀕している今、どんなことをしてでも、断固、この企業価値を貫徹すべきではないのか……と。

 その結果、『商売を抜きにしてでも、牛乳を配ろう』ということになり、この会社の社員たちは、山を乗り越え、崩れた斜面にはいつくばって、牛乳の宅配をやり抜いたんですよ」。

 ごく一般的な人基準企業であったならば、果たしてどういう行動を取っただろうか? おそらくは、ワンマン経営者や幹部社員の家族の安否を最優先して、本業はそっちのけで社員がそのサポートに忙殺され、そこで“活躍”した社員が出世するといったケースもあったのではないだろうか? この牛乳宅配会社の事例に、仕事基準というものの真髄を見る思いがするのは、決して私1人ではないだろう。

 「でも、残念ながら、世の中ではそういう評価にはならなかったんですよ」と前田さんは苦笑する。

 「マスコミの取材が殺到し、すっかり有名になったまでは良かったのですが、すべてのケースにおいて、それは“美談”として報道されてしまったんです。仕事基準でやるべきことをやったのに、“被災者のために艱難辛苦を乗り越える社員たち”という、人基準に基づく、美しいレッテルを貼られてしまいました……」

 “社会貢献企業”とか“CSR”という言葉が飛び交ったであろうことは想像に難くない。

 とはいえ、震災直後のこの会社の企業姿勢は、高く評価され、その評判は日本各地へと広がり、その後の同社の飛躍的な発展へと結びついていった。おそらく、それが一時的な“美談”レベルの行動に過ぎなかったのなら、そこまで発展しなかったに違いない。仕事基準が日々の業務に定着していたからこそ、一時的な“注目”を、継続的な企業発展へと結びつけてゆくことができたと評すべきだろう。

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