――石田がイチロー選手に初めて取材したのは、1996年の秋のこと。その年のオリックスは巨人を破り、日本一を手にした。
イチロー選手の第一印象ですか? 想像していた姿と違って、とてもはじけたキャラだと思いました。大きな声で笑ったり、しゃべりながらの動作が大きかったり、感情の表現がものすごく素直だったり……メディアを通じた印象から、彼は気難しいタイプだと思っていたので、素直でとにかく明るいという実像が意外でした。彼は、一緒にいるとこちらも元気になるようなテンションを持っていました。
イチロー選手のことを初めて書いたのは、1999年のこと。最初の取材からアウトプットするまで、3年ほどかかりました。それは、ボクの中での熟成期間が必要だったからなのかもしれません。これはイチロー選手に限ったことではなく、桑田真澄さんを取材したときもそうでした。桑田さんとはNHKで働いているときに出会ったのですが、彼のことを書こうと思ったのはそれから7年目のことです。彼は1994年に胴上げ投手となり、MVPを獲得しました。その翌年、発表媒体をとくに決めないまま、彼を追いかけ始めました。しかし桑田さんはシーズン途中でケガをしてその年は投げられず、1996年はリハビリの生活。その間、ボクは桑田さんとかなりの時間を一緒に過ごさせていただきました。
そして1997年に『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社文庫)という本を世に送り出すことになりました。取材をしたらすぐに書くのではなく、もっともっと自分の中で熟成させて、“書く”から“描く”という次元に昇華させたいというのは、今も変わらずに持ち続けている想いの1つです。
2000年、36歳のボクはイチロー選手を追いかけつつも、2年目の松坂大輔選手や、桑田さんの取材をしていました。取材対象に野球の選手が増えてきて、野球を取材する機会は増えていたのですが、シドニーオリンピックまでは陸上や柔道、他にもラグビーやサッカー、モータースポーツの取材などもしていました。
いろんなジャンルのスポーツを取材していたのにはワケがありました。NHKのディレクターだったとき、「お前は野球の専門家になるな」「人を描くためには専門家になりすぎてはいけない」と先輩方にアドバイスしてもらってきました。その言葉に納得して取材を続けていたのですが、取材対象者を描こうと思ったら、「自分がそのスポーツを理解していないと、彼らのほんとうの想いは描けない」と感じるようになってきました。
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