公務員の“高給取り”をどうとらえるか?――人事コンサルタント、前田卓三さん(前編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(3/5 ページ)

» 2010年06月12日 00時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

付加価値報酬制には、恣意的につけいられるスキはないのか?

 しかし、こうした評価比率の決定が、組織内で恣意的になされる可能性はないのだろうか?

 特に、骨の髄まで人基準の組織が、世の中の流行に乗って仕事基準を導入するような場合には危うい。例えば、パフォーマンスの比率ばかり高くして過酷なノルマを課したり、パーソンの比率ばかり高くした上、その中身を属人的内容に変質させると、人基準をそれまで以上に強化する結果になる恐れもあるだろう。

『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』(城繁幸著)

 「そういう危険性はあります。実際、仕事基準を前提とする欧米企業の“成果主義”を、それまで人基準だった日本企業にそのまま移植することで、多くの企業は“ノルマ主義”に陥りました。

 それは、もともと日本にポジションの概念がないことに起因します。ポジションの概念が定着していれば、それぞれの職責に見合った価値創造が求められますし、それに対して報酬が支払われるのが当然の前提になっているので、パフォーマンスが比率的に突出するなどということはあり得ないのです。

 ちなみに日本では、ポジションではなく、“ポスト”という表現が好んで使われます。ポストは階層構造の1つの席を表し、そこに一度就いたら、仕事をしてもしなくても、そのポストに対して給料が支払われます。役所でも企業でも組織の上の方に、たいした仕事もしていないのに、なぜか高給の人がよくいるのはそのためです(笑)。

 だから、日本で仕事基準を実施するに際し重要なことは、ポストという考え方をなくし、ポジションをしっかりと位置付けた上で、その評価比率を絶対に5割以下にしないようにすることです。そうすることで、ノルマ主義はもとより、パーソンの比率ばかりを高めて、しかもその中身を変質させて人基準を強化するなどということもできなくなるでしょう。

 また、組織内でこの基準を採用するに際しての透明性や公平性、合理性を確保するために、成功した組織の事例などをベースに納得度の高いモデルを構築して、それをオープンにしておくことが必要だと思います。これは人基準では不可能です」

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