日本の時計の歴史をたどる旅――滋賀県・近江神宮「時の記念日」漏刻から最新の電波時計まで(1/2 ページ)

» 2010年06月10日 08時00分 公開
[岡田大助,Business Media 誠]
近江神宮 近江神宮(楼門)

 6月10日は「時の記念日」だ。1920年に東京天文台(現国立天文台)と生活改善同盟会が、時間の大切さを啓蒙するために制定したのが、その始まり。多くの記念日にありがちな語呂合わせではなく、671年6月10日(旧暦4月25日)に、国内で初めて時計によって時間を計り、鐘を鳴らしたことに由来するという。

 国内初の時計、それは漏刻(ろうこく)という水時計の一種だった。日本書紀によれば、大化の改新の中心人物の1人である中大兄皇子(後の天智天皇)が自ら作り、天皇に即位してから10年後、当時の都の近江大津宮で時報を開始したと書かれている。

 今回は、今年で制定90年を迎える時の記念日にちなみ、漏刻から最新の電波時計まで、時計ゆかりの場所を訪ねた(全3回)。

→最新のの電波時計はこちら「1秒を決める国内唯一の機関――情報通信研究機構(NICT)

近江神宮の境内には、漏刻以外にもさまざまな時計が点在

 天智天皇を祭神とする近江神宮(滋賀県大津市)。ここでは、毎年6月10日に漏刻祭(ろうこくさい)が行われる。カシオやセイコー、シチズン、オリエント時計といった時計メーカーの最新の時計が釆女(うねめ)によって献納されるほか、女人舞楽「原笙会」による舞楽が奉納される。

 近江神宮の境内には、漏刻のレプリカや日時計、火時計などが点在する。また、近江神宮時計館宝物館が併設され、実物を見ながら国内外の時計の歴史を知ることができる。

近江神宮 近江神宮時計館宝物館(左)。時計にゆかりのある神社だけに時計メーカーの名前もチラホラ(右)

 龍をかたどった火時計は、約4000年前の中国で、主に夜間の時刻を計るために用いられていたという。龍の背に吊り下げられた14個の銅球の糸を、線香の火が焼き切ることでドラが鳴る。

 一方、矢橋式日時計は岐阜天文台の矢橋徳太郎氏が考案したもの。上部のひさしの形をした板の影は、午後1時までは右側、午後1時以降は左側の目盛りに落ちる。半円形の目盛板は可動式で時刻の狂いを調整できるようになっている。

近江神宮 古代火時計(左)。矢橋式日時計(右)

 漏刻は、3層に別れた枡(ます)から漏れ落ちる水の量によって時間を計る。最下層には、1目盛りが約10分を示すように印を付けた矢が浮石に取り付けられている。

 時間を管理するということは、先進国家の仲間入りを意味し、漏刻の管理は大宝令によって定められた。中務省(なかつかさしょう)の陰陽寮(おんみょうりょう)が管理し、責任者の漏刻博士が時報を行っていたという。近江大津宮以外にも、国府や鎮守府などにも漏刻が置かれ、平安朝末期まで使われていた。

近江神宮 復元された漏刻
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