なぜテレビは面白いのか? 放送作家のボクが考えてきたこと35.8歳の時間・都築浩(1/6 ページ)

» 2010年06月04日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

連載「35.8歳の時間」とは:

 35.8歳――。これはBusiness Media 誠の読者の平均年齢である(アイティメディア調べ)。35〜36歳といえば、働き始めてから10年以上が経ったという世代だ。いろいろな壁にぶちあたっている人も多いだろうが、人生の先輩たちは“そのとき”をどのように乗り切ったのだろうか。

 本連載「35.8歳の時間」は各方面で活躍されてきた人にスポットを当て、“そのとき”の思いなどを語ってもらうというもの。次々と遭遇する人生の難問に対し、時に笑ったり、時に怒ったり。そんな人間の実像に迫る。


今回インタビューした、都築浩氏(つづき・ひろし)のプロフィール

1967年2月3日生まれ、早稲田大学理工学部除籍。20歳のときに『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)で放送作家デビュー。『電波少年』『とんねるずの生ダラ』(以上、日本テレビ)、『ASAYAN』(テレビ東京)『ガチンコ!』(TBS)などを手掛ける。現在もバラエティーから報道まで数々の番組を担当。脚本家として『世界で一番熱い夏』(TBS)、『恋愛偏差値・第一章 燃えつきるまで』、『ムコ殿2003』(以上、フジテレビ)などのドラマを執筆。2006年には『トンスラ』(幻冬舎)で小説家としてもデビュー。


放送作家になったきっかけ

――放送作家・都築浩。テレビ番組のエンドロールで彼の名前を目にすることは多い。現在『笑っていいとも!』(フジテレビ)、『NEWS ZERO』(日本テレビ)、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)など、1週間に15本以上の番組を担当している。これまで放送作家としてバラエティを中心に関わってきたが、脚本家として連ドラを執筆しており、小説家としてもデビューした。

 テレビ業界に身を置いて23年。ふだんテレビの裏側にいる男は、表に出てきて何を語るのだろうか。

放送作家の都築浩氏

 テレビが好きになったのは漫才ブームのときで、ボクが中学1〜2年生のとき。多くの漫才師が活躍されていましたが、中でもツービートのビートたけしさんが大好きでした。また『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)という深夜ラジオで、たけしさんがパーソナリティを担当していたので聞いていましたね。たけしさんはずっとしゃべりっ放しだったのですが、それに相づちをうつかのように笑ってばかりいたのが放送作家の高田文夫さん。そのとき初めて放送作家という仕事を知りました。

 漠然と「放送作家になりたい」という思いはあったのですが、その一方で「大学で研究者になろう」という気持ちもありました。生まれ育ったのは大阪で、関西の国立大学に合格すれば「研究者」に、東京の私立大学に受かれば「放送作家」を目指そうと思っていました。

 そして関西の国立大学は不合格だったのですが、早稲田大学の理工学部に合格。早稲田に入学したものの、3カ月ほどで大学に行かなくなりました(笑)。マージャン三昧の自堕落な生活を続けていて、いつの間にか「放送作家になろう」という夢も忘れてしまいました。友人や知人の家を渡り歩く日々が続き、1年ほど自分が住んでいるアパートに帰りませんでした。そしてたまたまアパートに帰って、たまたまテレビをつけてみると『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)が放送されていました。テレビを見たのは久しぶりだったのですが、ブラウン管に映っていたたけしさんは相変わらず面白かったですね。

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