“特派員”は必要なのか? ネット時代で役割が変わる相場英雄の時事日想(1/2 ページ)

» 2010年05月20日 08時10分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『みちのく麺食い記者 宮沢賢一郎 誤認』(双葉文庫)、『誤認 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。


 「いつかは海外支局の特派員に」――。新聞社やテレビ局に勤務する報道記者の何割かが必ず目標にする職務が“特派員”だ。外国語を駆使して海外の要人にインタビューし、紛争地を飛び回る特派員の姿は、たびたびドラマや映画の素材になる。が、華々しいイメージとは裏腹に、特派員はその仕事の中身がここ十年ですっかり様変わりしているのだ。

 仕事を変えてしまった背景には、インターネットの存在がある。今回の時事日想は、一般にはあまり仕事内容が伝わってこない特派員に触れる。

NYタイムズ・Web版の衝撃

 十数年前、筆者が通信社の編集局で速報オペレーターを務めていたころ、新卒記者が編集局内で大騒ぎしている場面に遭遇した。新人の手には当時発売されたばかりのIBMの小型ノートPCがあった。新人君が興奮していたのは、PCのスペックの高さではなく、その中身だった。

 「先輩、こんなサービスが普及したらウチの特派員は全員いらなくなりますよ」

 彼のPCには、当時サービスが開始されたばかりのニューヨーク・タイムズ紙のWeb版が表示されていたのだ。古巣の編集局にはインターネットにアクセスするIDが1つしかなかった“石器時代”であり、筆者も新人君の意見に同意したことを今でも鮮明に記憶している。

 当時も今も、通信社にとって重要な業務の1つが海外紙・テレビのモニターだ。海外メディアの主要ヘッドラインをピックアップし、何が起こっているかを日本に伝えるのだ。もちろん当時の古巣では、ニューヨーク・タイムズ紙の主要見出し、トップ記事を翻訳して日本語ニュースに起こすのはニューヨーク特派員の重要な仕事の1つだった。ネット経由で同紙が記事を配信することで、特派員がこなしていた業務は東京の編集局でも充分にこなせる仕事になったのだ。同時に、通信社のサービスを利用しているユーザーにとっては、割高な料金を支払わずともタダで同紙を読む事が可能になったわけだ。

不要になった市況データ

 海外紙のネット配信だけでなく、通信社の特派員の仕事を変えてしまったのが市況原稿だ。ニューヨークやロンドンなど外為や金利、株式や商品など主要市場を取材対象としてきた海外支局では、特派員が取引所の各種データを入手し「ニューヨーク株が続落」「ロンドンで円急騰」といった記事を書き、本社に送っていた。これが日本国内の金融市場関係者に配信されていたわけだ。が、各国の主要取引所のネットを介した数値情報の開示が進むにつれ、「金融の素人が書いた市況記事ではなく、生のデータがあっという間に入手可能になった」(都銀の外為ディーラー)という構図だ。

 数年前、後輩記者が主要市場を抱える海外支局に特派員として赴任することが決まった。もちろん、経済部のエース的な存在であり、国内での実績十分な人物だった。が、彼が赴任する直前、筆者にこんな言葉を残したことが鮮明によみがえる。「支局長や本社の幹部からたくさんの市況記事を書けと言われているが、果たして需要はあるのか」。残酷だが、筆者は先の外為ディーラーと同じ言葉を後輩に伝えた。この記者が優秀だったのは、筆者の言葉を聞いた直後に「ネットでは拾えない地元の話や、人と会って聞いた話を中心に記事を送る」と言い切ったところにあった。現在もこの後輩記者が送った海外の話題は、さまざまなメディアに配信されており、筆者も熱心に記事を読んでいる。

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