ハリウッド・スターの光と影――マイケル・J・フォックスあなたの隣のプロフェッショナル(3/6 ページ)

» 2010年05月16日 20時52分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]
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不治の難病、パーキンソン病

“蝶のように舞い、蜂のように刺す”ボクシングスタイルで知られた伝説のボクサー、モハメド・アリ。彼もまた、パーキンソン病と闘いながら生きるスターの1人だ。画像は、彼の名試合を集めた『モハメド・アリ ザ・グレーテスト DVD-BOX

 世界には、今なお「不治の病」と恐れられている病気がいくつも存在するが、パーキンソン病もその1つである。

 脳神経系の疾患であり、その発症の原因はいまだ分からず、効果的な治療法は存在しない。分かりやすく言えば、体が次第に動かなくなって、じわじわと死んでゆく病気だ。米国だけで約150万人の患者がいるとされている。元WBA世界ヘビー級王者、モハメド・アリ(1942〜)の病気としてご存知の方もいらっしゃるかもしれない。

 症状は個人差が大きいが、多くの場合、手の震えから始まり、それが半身全体に、やがて全身に及ぶ。代表的な症例としては、顔面が仮面のように表情が張り付き、思うように言語・感情表現ができない。立ったり座ったりも自力では難しい。歩こうとするとつんのめったようになり、速度の調節や方向転換は困難だ。手先を使った細かい日常動作は当然できない。物を飲み込むこと(=嚥下)が難しくなり、唾液ですらうまく飲み込めなくなる。緊張した時に、こうした症状が激化するが、睡眠中は症状が出ない。

 治癒は一切望めず、様々な薬を試して、それが運良く適合した場合に限り、上記の諸症状を若干緩和させることができる。しかも、その薬の効果はやがて低減する。いきおい、より強い薬を服用し、さらには、その量を増やしていかざるを得ない。患者は副作用に苦しみながら、しかもなおかつ、病気は刻一刻と進行してゆく。

 Q.O.L.(クオリティオブライフ)のレベルは極めて低く、日常生活は献身的な介護者の存在を抜きには考えられない。やがて、完全に寝たきりとなり、死に至る。

 マイケル・J・フォックスが手の震えに気づいたのは、1990年秋、29歳のときである。翌年にかけて何人もの医師の診察を受け、自分がパーキンソン病であることを知る。通常は高齢者に多い病気で、彼の場合は数が少ない若年性パーキンソン病だった。

 幸い、彼の症状はパーキンソン病としては、比較的軽いものであったが、それでも、人前で演じる俳優という職業を続ける上では、大きな困難をもたらすことは明白だった。医師からは「あと10年くらいは俳優としてやっていけるかもしれない」と言われたが、仮に10年持ちこたえたとしてもまだ39歳だ。それ以降はいったい……!?

 この過酷な現実と、彼はどう向き合ったのか。

病とストレス、そしてアルコール依存症……

 マイケルは、パーキンソン病とはすなわち、自分や大切な家族から多くのものを奪い去ろうとする存在であるとみなし、そうした状況を受け入れることに抵抗した。そして、あらゆる問題を自分ひとりの心の中に押さえ込もうとする。

 家族やごく一部の人にだけ病気のことを打ち明けたものの、日常生活においては、妻のトレイシーや子供たちにも具体的な症状やそれに伴う日々の悩みや苦しみを話そうとしなかったようだ。家族までそんな病気に巻き込みたくないという彼ならではの配慮だったのだが、「病気=日常生活」となっているマイケルにとって、病気の話をしないことはすなわち、日常のよもやま話を家族と一切交わさないという“コミュニケーションの断絶”を意味した。

 映画やテレビ番組の収録がある場合は、薬が効き始めた頃(=比較的、症状が治まっている時間帯)に収録が始まるよう、時間を綿密に計算して薬を服用するなど、細心の注意を払い続けた。病気がばれてスキャンダルに発展したり、その結果として、失職することを恐れていたのだ。

 しかしそれはマイケルにとって、誠実で信頼すべき仕事仲間たちや自分を支えてくれる多くのファンを欺くことであり、自分自身を欺くことでもあったろう。公私にわたる孤独な闘いの日々。いつもイライラし、酒に溺れて、アルコール依存症はさらにひどくなり、些細なことでも周囲に当り散らすようなことが多くなった。

 しかし、そうした緊張とストレスに満ちた生活こそが、パーキンソン病の病状をいっそう悪化させていること、そして大事な家族との関係を危機に陥れていることに彼は気づく。

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