NOVAが跳ね、ジオスが空転――日本人に英語は必要ないのか?郷好文の“うふふ”マーケティング(2/3 ページ)

» 2010年05月13日 08時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

Why Englsh?

 私の英語体験は祖父とのマンツーマン・レッスンから始まった。小学校4年生のころだろうか、ある晴れた日曜日、自宅の2階で祖父と向き合い、日だまりの中で英語の本を開いた。「Repeat after me、読んでごらん」と始まったレッスン。単語を1つ2つ覚えただけだったが、「もう中学生」の気分で自分が何やら誇らしかった。

 お陰で英語嫌いにならなかったが、語学の才能もないのに感化されすぎた。南の国にワーキングホリデーという名の“語学放浪”をし、社会人も落ちこぼれから始まった。英語と無縁に過ごした数年後のある日、「海外駐在したい!」というヨコシマな思いで一念発起。TOEICでは試験テクを究めて、930点という後光の差すようなスコアをゲット。この連載では、数多の英文を誤読しながら海外商材を紹介し、背中を汗でびっしょりにしながら英語インタビューをお届けしている。

 「なぜ海外なのか?」「なぜ英語なのか?」。若いころはこう思っていた、「日本は何て退屈な国なんだろう?」。今はちょっと違う、「日本“だけ”では、退屈だから」。

 発想も同質なら感情も同質、行動も同質な極東日本国。新奇な記事ネタも少ない。しかし、Twitterで英語タイムラインをフォローすれば、個性的な変態(笑)が海外にはゴロゴロ。同質社会から一気に抜け出せる。海に向かって「やるぞ〜!」と吠えるほうが退屈しない。

 思えば祖父の時代から、いやもっと前から、日本人はみんな吠えてきたのだ。

英語で吠えてきた日本人たち

 祖父は英語が堪能だった。輸入商として英語をビジネスで生かした後、1950年代から1960年代にかけて、欧米やオーストラリアへ能楽師として海外公演で渡航。能楽師一団の通訳も務めたから、伝統芸能や日本文化を伝える伝道者でもあった。

 祖父と同世代に、吉田茂首相の懐刀として、英語を駆使して米国高官と渡り合った白洲次郎氏がいる。祖父は白洲氏のようにかっこよくはなかったが、英語ができる日本人の1人として「海外に向かってやるべきことをやった人」だと思う。

 幕末には吠えた人がたくさんいた。4月25日放映のNHK大河ドラマ『龍馬伝』では、ジョン万次郎と坂本龍馬が語るシーンがあった。

坂本龍馬 なぜ日本に帰ってきたとですか?

ジョン万次郎 わしは日本人じゃ。

 漁船が難破・漂流し、漂着した島から米国本土に渡り、勉強し働いた幕末の志士、ジョン万次郎。望郷の念だけではなく、米国という大国から学ぶべきことを「日本に学ばせる」ために帰国したのであろう。

 こういう人々がいたからこそ、私たちは今、ガラパゴスでも幸せな“黄金の国ジパング”にいるのだ。そこを忘れてはいけない。

 今、「日本の経済も技術もスゲー」という一時代はすでに終わった。低成長時代に入り、海外を学び直す時期にある。人とモノと文化の輸出入に活路を見いだす時期にある。閉じこもることは、100年後の国の衰退につながるのである。外に向かって、内に向かって吠える時なのだ。

『龍馬伝』公式Webサイト

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