ネットワーク化で社会を変革せよ―― 社会学者、鈴木謙介氏インタビュー(後編)2030 この国のカタチ(2/3 ページ)

» 2010年05月07日 08時00分 公開
[乾宏輝,GLOBIS.JP]

日本はギャング化を経ないと成熟できないのか

 いわゆる財源問題みたいなものは、「ナショナル・ミニマム(政府が国民に対して保障する最低限度の生活水準)をどう保障していくか」という議論のときに必ず出てきますよね。ただ今は、もう右翼も左翼も、リベラルも保守も、「雇用が流動化するのはしょうがないけど、最低限の貧困に陥らないように保障していこうね」という国家像に一応、収斂(しゅうれん)されつつあるのかなという空気を感じます。財源問題も含めて、この国家像は今後10年、20年で達成されていく1つの社会理想なんでしょうか。

年齢段階別完全失業率の推移(出典:内閣府)

鈴木 うーん……。先ほどの「若者に老人がお金を使いたくなるような環境」という話にちょっと絡んでくるんですが、おそらく高齢者が自分のお金を使いたい若者となると、「國母(和宏・バンクーバーオリンピック・スノーボード男子ハーフパイプ日本代表)みたいなやつにお金を使うぐらいなら、もうちょっと見た目が真面目なやつにお金を使いたい」みたいな話になってしまうんじゃないかと思うんです。

 高校無償化だって、「あんな茶髪でズボン腰穿きの奴らのために、なんで税金を使われなければならないんだ」みたいな声が上がりましたよね。そうではなくて、社会の底を支えるというのは、最終的には茶髪のズボン腰穿きの彼らが、職を失ってギャングにならないようにするために必要なんですよ。

 子育て支援に関しても同様です。「子育ては親が努力するものだから反対、不要だ」という高齢者の方がいますが、そもそもそうした努力が可能だったのは、核家族で子育てをする消費環境の拡大と、それを購入するための収入見通しがあったからです。ですが、消費環境が広がる中で、「お金がなくても人の縁で支え合う」という社会資本が失われ、貧しい人でもかつてであればなんとかなった収入があってもやっていけないという社会になりました。

 子育ては世代をまたぐ作業なので、対策が遅れるほど大きな影響を後の世代に残します。お金がなくても支え合える社会を作れれば理想的ですが、緊急的に必要なのは、人の縁がなくても子育てができる収入の見通しをつけられるようにすることです。ナショナル・ミニマムを保障するとは、そういうことなんですね。

 そのことが認識されるところまで来ないと、ナショナル・ミニマムを税金で保障していくことに対する抵抗感はぬぐえないと思います。特に企業保障だけで生きてきたこれからの高齢者世代にとっては、納得いかない気持ちが強いでしょう。彼らに「もうそれじゃダメなんですよ」ということが分かってもらえるまで、もうちょっとかかる気がします。

 一部では、働いても働かなくても最低限の生活を保障するベーシック・インカム制度※が割とすぐ実現するんじゃないかといった論調も出てきているようなんですが、そう簡単にはいかないだろうという感じですか。

※ベーシック・インカム制度……最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で支給するという制度のこと。

鈴木 ベーシック・インカムという制度自体は、いろんな形式が考えられるんですが、「ベーシック・インカムと言えなくもない」ぐらいのシステムなら、割と早くできるんじゃないかと思っています。ただ、ベーシック・インカムって、もうホントに、哲学的に語り出せば止まらないので(笑)、いろんな可能性があるし、世界中でいろんな思想問題として取り上げられていますから、議論はあっていいと思います。

 ただ、先ほどの話とも関連するんですが、やはり今の日本社会で、働かなくてもお金がもらえるっていうシステムを、正当化しようと思ったら、実際にやってみせないことには、多分根付かないというのが正直なところです。高齢者の財産が若い人のために必要なのだとしても、政治的な意義、つまり「日本社会のために」という道徳問題にしてしまうと、「日本社会のためにならなそうな奴には配分しなくてよい」という話になってしまうんですね。

 ベーシック・インカムの大きな特徴として、ミーンズテストを行わない、つまり、「全員一律に支給するので、受給資格というか、その人がお金をもらうにふさわしい人格や生活態度であるかどうかということを問わない」というものがあります。この点さえ守れればベーシック・インカムを実現する意義はあると思いますが、その道徳的な正当性を問い始めたら、全員が納得するのはずっと先になってしまうでしょう。

 かつての地域振興券から始まって、いろんな一律バラマキ政策みたいなものは行われてきているじゃないですか。みんな何のかんの言っても、もらえるとなったらもらっている(笑)。だから、実施に当たっては財源の見通しだけはクリアに説明する必要がありますが、実施の決定そのものには強い政治的意志が必要になるのではないでしょうか。

 形式としては完全ではなくていいとは思いますが、2010年代のどこかで、形として「一応ベーシック・インカムと言ってもいいかも」ぐらいのものがスタートすれば、大分認識が変わってくるんじゃないかなと思っています。そういう意味では、中身はある程度妥協してでも、制度としてのベーシック・インカムを、早めに始めてみることっていうのが、1つ大きな変革のきっかけになるだろうなと思います。

 モデルとして思想として、いろんなことを考えるのもいいのですが、それと同時に「いかにして早期に実現するか」っていうことについても、ベーシック・インカムに興味を持っている人たちが今後考えていくべき問題なんだろうなと思います。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.