仕事で自己実現ってホントにOK?――社会学者、鈴木謙介氏インタビュー(中編)2030 この国のカタチ(3/6 ページ)

» 2010年04月30日 00時00分 公開
[乾宏輝,GLOBIS.JP]

“自己実現”が職場に生む心理的負荷

 一方で、鈴木さんは著作の中で、仕事の場で自己啓発をして、不断に自身をアップデートしていく自分が存在するかたわら、「ありのままの君でいいですよ」と癒やされたい自分もいると。その間を往復しているのが現代の特徴じゃないかと言われています。

鈴木 そうですね。さっきのホックシールドの指摘にもつながるんですけれども、要するに仕事をする環境が、自己実現と結びついてくること自体は、大きな流れとして、良くも悪くももう起こってしまっていることだと思います。「仕事というのはお金のためだけにやることで、嫌なことでも我慢してやるんだ」と言っても、多くの学生たちは納得しないでしょう。

 そうした状況の中で、産業の面から考えても、多くの企業が従来のセオリーを維持するのではなく、何らかのイノベーションが必要だと考え、そういうことができる人材を求めています。これまでやってきたことを、これまでやってきた通りにやることだけでは難しい。常に付加価値が何かということを考えながら、自分の仕事の付加価値性について、あるいは自分の関わっている仕事の付加価値性について、あるいは自分の人材としての付加価値性について考えながら生きていかないといけない。

 業務の評価も、いわゆる具体的な営業成績だけではなくて、その営業成績を上げるために何をしているかであるとか、あるいは会社の業績を上げるためにどのような努力をしたかということを数値化して求められるという、こういう状況が続いているわけですね。

 スタートは成果主義が導入されたことに関係していますけれども、安直な成果主義の導入がもたらした弊害が周知の出来事となり始めている現在でも、やっぱり自分の付加価値を上げていかないといけないという、ある種の強迫観念のようなものは残り、それは特に会社に入って以降の方が強いという特徴があります。

 それがきちんとした成果に結びつくのであればいいのですが、もともと例えば自分の人材としての付加価値性を高めるといのうは、社会の雇用流動性が高いことを前提にしているわけです。

 「このぐらい努力したんだから、このぐらいのカネで自分を買ってくれないんであればよそへ移るよ」ということが、対等に労働者から言えないと意味がない。実際には、会社から自分に対する評価を下げないために、嫌々努力をしているっていう状況があり、そうしたスキルを積み重ねて転職しようにも、基本的にそれを評価するシステムそのものがなかったり、あるいは共通の基盤っていうものが認められていなかったりする。

 MBAや資格をとって転職するにも、会社の方が発言権がでかい。いわば言い値で買われてしまうというような状況がある。そうすると、自分たちが何のために付加価値性を高めているのか、スキルアップしているのかよく分からないっていう話になってしまいますよね。

 「何のためにやっているのか分からないけど、でもやらないと評価下がるしなあ」というジレンマの中で、普通の人たちが直面する考えというのは、「自分たちがやっているのは、仕事だから仕方ないんだ」という形で、自分自身の本音というか、本当の自分というものから切り離して、そうしたスキルアップというものを考えるようになる。まあありがちですよね。

 でも同時に、そこで求められているスキルアップというのは、「お前自身は何をしてきたのか」ということまで問われるわけです。つまり、「仕事だから嫌々これだけの数字を上げました」では許されない。一方では「これは仕事だから」と割り切りつつ、上司の前でプレゼンするときには、「自分はこれをやりたいんです」と本心から言ったかのようにプレゼンしないといけない。

求人総数および民間企業就職希望者数・求人倍率の推移(出典:リクルートワークス研究所)

 この乖離は、いろんな業務に共通して起きています。ただどちらかというと、非熟練、半熟練のサービス業で、より強く機能してしまうっていうのが、皮肉なところだと思っています。つまり、大きな会社の仕事であれば、「自分が何をしたか」という意欲を発揮する以外にも、自分を評価するシステムというのはたくさんありますし、いろんなチーム作業の中で業績が決まっていくので、個人の意欲という評価というものは相対的に低くなります。

 しかし、居酒屋でも営業でもそうですけれども、個人がやったこと、あるいは個人の意欲というものが、業務の中に直接、評価の対象として入ってきてしまう職場では、「なぜ頑張らないんだ」とか、「言いわけはいいからどうするんだよ」みたいなコミュニケーションが生まれ、新人がキリキリ胃を痛める、ということが起こってしまうわけですよね。こうした話が蔓延(まんえん)しているせいでしょうか、学生たちが就職活動で企業選びの際に一番気にするのが「ブラック企業かどうか」だそうで。

 ここがすごく難しいところです。先ほどは仕事による自己実現は必ずしも否定しないと言いましたけれども、日本の今の状況の中では、そうした仕事による自己実現というものが組み込まれている職場ほど、どうしても個人に対しては圧迫的になり、また心理的負荷の高いものになってしまうという状況が現にある。そこは大きな問題だという風に思います。

 で、そうした状況というものを改善するのがなぜ困難なのかというと、その種の非熟練、半熟練のサービス業に就いている人たちというのが、本人たちの意識の中で、「それしか仕事がなかった」「自分たちが選んできた道なんだから」という形で、自己責任を内面化しているからです。あるいは内面化しているがゆえに、努力しない人っていうのをさげすむ傾向にどうしても入ってしまう。いわゆるヤンキーの理論ですね。「どうせオレたちなんか最初から大企業なんか無理なんだよ。だったらできる範囲でなぜ頑張らないんだよ、文句言ってないでさあ」みたいな。

 先ほど「先輩」というタームを出しましたけれど、厳しい環境の中でも努力できている人たちしか職場には残っていないわけです。そういう人から、「いやオレもなあ、最初は確かに辛かったけどさあ、どうせオレたちにはこういうところしかないんだからさ、頑張ろうぜ」みたいなことを言われると、「ういっす! 先輩!」みたいな(笑)、悪しきタテ社会のコミュニケーションになってしまいます。

 でもそれで成果を上げられないと、結局は心理的な圧迫と、しかし先輩たちが内面化している、体現している価値観との間に大きなギャップというものが生まれてきて、心が病んでしまったりであるとか、仕事が続けられなくなってしまったりとか、そういう状況を生んでしまうわけですよね。

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