若者はなぜ生きづらいのか?――社会学者、鈴木謙介氏インタビュー(前編)2030 この国のカタチ(4/5 ページ)

» 2010年04月27日 12時56分 公開
[乾宏輝,GLOBIS.JP]

1970年代に変化に直面しなかった日本

 残り2つが日本独自の状況になります。まず、日本の中では国家の福祉ではなくて、つまり公共福祉ではなくて、企業福祉が中心だったということです。国の福祉支出は先進国最低レベルですが、その代わり国は企業を護送船団方式で守り、その企業が従業員を守り、その従業員の男性が専業主婦の奥さんと子どもを守り、という順番で生活を支えるモデルを作ってきた。

 このモデルは、例えば家族のシステムや、あるいは企業のシステムが安定的な時には、それなりにうまく働きます。しかし、システムが不安定になったり価値が多様化してくると、途端に破たんするモデルなんですね。

 例えば、価値の多様化に関して言えば、奥さんは旦那さんにずっとくっついていかないと、企業年金ももらえない、老後の生活ができないという状況だったわけです。けれども、「女性だって自分の価値観や生き方があるんだ」、あるいは「働いたっていいんだ」っていうことになってくる。あるいは企業が女性の労働力を必要とし始める。すると、そうした女性を家庭に閉じ込めているというシステムは、非合理なものになります。

 また、1970年代にはニクソン・ショック、2度のオイルショックがあり、欧州ではインフレと失業率の悪化が続きます。こうしたことから福祉国家政策の見直しや脱高度成長型の経済モデルの「次」が模索されるようになる。ですが対照的に日本は、特にオイルショック以降の不況期を、いわば企業福祉を前提にした、会社への忠誠モデルで乗り切ったんですね。

完全失業率の推移(出典:厚生労働省)

 つまり、従業員が自主的に業務の改善を行ったり、あるいは企業の系列化を通じた垂直統合がうまく作用したために、産業構造と、ひいてはそれに支えられていた生き方のモデルが引き続き維持されることになったんです。多くの先進国が1970年代以降、いわゆる第二次産業中心で、拡大する中間層からの税収をあてに福祉を充実させるという高度成長型の経済モデルが維持できなくなっていく中で、いわゆるジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた日本的経営でいいんだという風に、多くの人々に理解されてしまったわけです。

 もちろんそこで延命された高度成長モデルにも、いい部分はあります。ですが現実には、いろんなところで、人々の意識や価値観は変化していたわけです。1970年前後の学生運動は明確に戦後の理想に対するアンチという意識を持っていましたし、テレビドラマを見ても、例えば高度成長型の核家族モデルなんかは、すでに内実としては崩壊していたことが明らかなんですけれども、何となく延命措置が働いてしまった。そしてバブル経済が破たんする1989年まで続いてしまった。これが2点目ですね。

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