思いつくままに「パワーシニア増加の背景」を挙げてみましょう。
日本人の平均寿命が世界各国に比しても長くなり、単純に人生が伸びました。このため、政治家や経営者、また自治会長のようなポジションも含め、“年齢による一律定年が適用されない世界”では元気な人がそのままリーダーポジションに残るようになってきています。
今のシニア世代には、「男が外で戦い、女が銃後(家庭)を守るものだ」という概念があります。この、長い間染みついてきた男女の役割論的な感覚からすると、「働き続けること=男であり続けること」「引退して家庭や地域などの女の世界に入るのは、男として終わりを意味する」くらいに思ってそうです。
「俺は死ぬまで働いていたい」などというセリフが出てくる深層心理も同じで、彼らにとって家庭とは「女子供が暮らしている二流の場所」なのです。
例えば、欧州は「階級ある実力社会」、米国は「階級なき実力社会(=完全な実力社会)」、韓国は「階級ある年功序列社会」です。中国は米国型、サウジアラビアは韓国型でしょう。
一方、日本は「階級なき年功序列社会」、すなわち「完全なる年功序列社会」です。この国には年齢を超えるヒエラルキー基準が存在しないのです。
階級があると、完全な年功序列社会にはなりません。韓国社会は非常に年功を重んじますが、リーディングカンパニーの多くが財閥支配の会社で、そのトップ経営者は一族から抜擢(ばってき)されます。会長の息子や一族の青年は海外で勉強した上、若くして経営者のポジションに就きます。
欧州も同じです。特定階級の人は特殊な大学や職業学校からいきなりリーダー、経営者候補として社会に出ます。カルロス・ゴーン氏が卒業したエコール・ポリテクニークは社会のリーダーになる人だけが行くところで、東大のように“卒業後は一兵卒として就職する”ような普通の学校ではありません。
つまり、米国のように年功よりも実力や成果が重視される国に加え、階級や特権層が存在する国でも「若くして権力を握る人」が一定数出てくるわけです。
ところが日本では年齢以外に重要な要素が何もありません。優秀でも、“若い”というだけで権限を与えないし、反対に「若い間は下積みが重要」などとシニア層が公言し、多くの人がエリートコースの存在自体を毛嫌いします。全員が納得できるヒエラルキー基準は、この国では年齢しか存在しないのです。
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