リストラを行っていながら、人事部の人間が増えている理由吉田典史の時事日想(2/3 ページ)

» 2010年04月02日 08時00分 公開
[吉田典史,Business Media 誠]

「負け組社員」を野放しにはしない

 そこで経営陣は人事部員を増やし、成果主義の結果をその社員の育成や配置転換に絡めていこうとしているのである。その切り札が、人事部員を増やす施策だ。それぞれの人事部員が営業部、企画部、支店、工場などといった現場の課長や部長と連携し、社員たちにきめ細かな育成や指導、評価、配置転換をするのである。

 例えば、営業部で成果が出ない人を「使えねぇ〜」といつまでも置いておくのではなく、少しでもその人に合った対処や指導を行い、それでもムリな場合はなるべく早くほかの部署に動かしたりする。最悪のときは、「もう辞めてほしい」とリストラに発展するのかもしれない。これまでにもこういった動きはあった。だが、いまはそのテンポを早めようとしているのだ。

 この動きを好意的にとらえると、会社が社員の実情を適切に評価し「適材適所」の人事を行おうとしていると見ることもできる。しかし、私はこうした受け止め方をしない。むしろ、会社がそれぞれの社員を「使えるか、使えないか」と素早く区別しようとする。おそらく、それは30代前半〜半ばにかけてとなる。当然、この背景には総額人件費をどうしても減らしたいという思惑がある。

 そして「使える人」にはより一層がんばってもらい、「使えない人」はそれなりに扱い、さらにひどい人には早く退職させようとしている。つまり、ホワイトカラーの2極化である。つまり「年収500万円正社員」を作るための1つの手段が、人事部員を増やすことではないだろうか。

 だが、私はこの動きを全面的に否定はしない。企業の現状を見ると、仕方がないと思う。いまの管理職層はその多くがオーバーワークであり、部下の育成などが十分にできなくなっているからだ。人事部員の力を借りることは必要だと思う。

 例えば、社員数300人以上の主要出版社の編集部に行くと、大体、編集長や副編集長といった管理職が自席にいない。その理由を聞くと、なんと取材に出ているというのだ。編集者として仕事をして、一方で管理職の職務をする。これではプレーイングマネージャーであり、部下の育成などはまずできないだろう。

 こういう職場を観察していると、20〜30代前半までの編集者には丁寧に教えてもらえる上司がいない。そもそも、昼間、上司は自席にいない。結局、経験の浅い編集者は明らかに無手勝流で仕事を進めている。

 この異様な光景は、少なくとも1990年代前半までは主要出版社であまり見なかったことだ。余談だが、日本の出版界はこのままでは絶対に人が育たないと思う。すでにその兆しは見えている。残念なことだが、さまざまな会社に取材で行くと、こういった職場はしだいに増えているのだ。

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