海外メディアは日本に定着するのだろうか? WSジャーナル・小野由美子編集長35.8歳の時間(5/6 ページ)

» 2010年03月19日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

読者に日本のことを分かってほしい

 ニューヨーク本社では食品や広告、小売業界などを担当しました。そして1998年に東京支局に戻ってきましたが、当時はまさに「失われた10年」の真っ只中。また「自己責任」という言葉が出てきて、雇用に関する記事もたくさん書きましたね。米国の成果主義をどのように導入すればいいのか、模索している日本の企業は多かった。

日本への帰国が決まり、同僚が送別会を開いてくれた。写真中央が小野編集長

 “成果主義が当たり前”と思っている国の人に対し、日本が成果主義を始めようとすることを伝えることは難しかったですね。いかにも成果主義バンザイといった切り口ではなく、どうして日本では成果主義を受け入れるのが難しいのか――といった形で記事を書きました。

 毎日、取材に明け暮れる日々が続いていましたが、ある日上司からこのような話をいただきました。「東京副支局長をやってみないか?」と。もちろん記事を書くという仕事は面白かったのですが、「マネジメントの仕事を経験するのもいいかな」と思い、引き受けました。しかし東京副支局長の役職を引き受けたはずなのに、3カ月後に支局長が異動になり、私が「支局長代理」になってしまいました。36歳のときのことです。

 副支局長から支局長代理になったということは、私にとってとても大変なことでした。支局(スタッフ8人)をマネジメントしなければならなかったのですが、私にとっては未経験のことばかり。米国人記者の記事構成や英語を直したり、取材のアングルを一緒に考えなければいけないので、彼らから信頼を得るまで時間がかかりましたね。中にはスクープをとってくるのは得意でも、読みやすい分析記事を書くのが苦手な記者もいました。

WSJの同僚からプレゼントされた小野編集長の似顔絵

 突然、支局長がいなくなった不安、支局長代理を務めることになった不安、この2つの不安は周囲にも影響していきました。みんなが不安の中で仕事をしている、といった感じでしたね。このピンチをどのようにして乗り越えればいいのか――。私はとにかくたくさんの人に相談しました。また多くの人に支えられながら、少しずつマネジメントの仕事ができるようになっていきました。

 また外資系は日本の企業と比べると、とにかくアピールしなければなりません。例えばトラブルが発生すると、周囲の人から指摘される前に「東京支局はこれをしています!」といった感じで、とにかくアピールしなければいけません。「これだけ仕事をしていれば、上司から評価されるだろう」といった姿勢では、なかなか理解されないんですよ。

 結局、支局長代理を9カ月間務めましたが、その間、東京支局長は来ませんでした。なので私の方から「自分が支局長をやります!」と言いました。振り返ってみると、自分ではかつてないほど、上司にアピールしましたね(笑)。「こんなに記事を出しました」「こんなにたくさんの仕事をしました」と。

 しかし担当者は「ちょっと、まだ早いよ」といった感じでした。最終的には支局長にさせていただきましたが、支局長になってみると、読者に日本のことを分かってほしいという気持ちが強くなりましたね。

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