日本に貧困は存在するのか?――“貧困の定義”を考えるちきりんの“社会派”で行こう!(3/4 ページ)

» 2010年03月09日 08時00分 公開
[ちきりん,Business Media 誠]

日本における絶対貧困レベルを考える

 では、「日本における絶対貧困レベル」とは、どう定義すればよいのでしょうか?

 あくまでちきりんの個人的な考えですが、下記が満たされていれば貧困とは呼ばないと思います。反対に言えば、どれかが満たされていなければそれは「貧困」とよぶべき状態だと思います。

(1)食料確保に不安がない状態

(2)プライバシーと一定の衛生レベルが確保できる住居があること。また、住居と生活様式について、一定の選択ができている状態

(3)家族形態、職業選択などに関する希望を、経済的理由であきらめる必要がない状態

 食料に関しては、世界基準とは異なり、「今日の食料」ではなく「ずっと手に入れられる見通しがある」ことが必要だと思います。

 (2)の住居の話では、一定レベルのプライバシーと衛生状態という部分はともかくとして、後半の“一定の選択ができていること”も必要かと思います。

 生活コストには地域差があります。温暖な地域の中堅都市は、寒冷地や都心に比べて住居コストは低いです。暖房不要で、車も不要だし、バイトも見つかりやすい。しかも大都市とちがって家賃も安い。

 だから、「生活保護を受ける人はこの県のこの街のこのアパートに集まって住んでください」(=「生活保護がほしければ居住地選択の自由は放棄してください」)と言えば、生活保護費は安くできます。実際、東京で生活保護を受けている人全員に「地方に引っ越せ」と言えば、住宅保護費は安くなるでしょう。

 一方、長年暮らしてきた家にいる経済的に困窮した高齢者や病気の人に対して、「生活保護をもらいたいなら、見知らぬ土地に引っ越してください」というのは、たとえそれで食料や住む家が保証されたとしても、適切な貧困対策だとは言えないですよね。

 日本における最低限の生活保障というのは、ぜいたくは言わないまでも、「ここで生きていきたい」という個々人の自由をある程度尊重できるというのが条件だと思います。

 同じ意味で、ちきりんは生活保護の現物支給案に関しても賛成ではありません。生活費の中から、米を買うのか嗜好品を買うのかは、支援される人の選択に任せるべきだと思っています。

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