情報洪水という津波が押し寄せたとき、ニホンは溺れなくてすむのか藤田正美の時事日想(1/2 ページ)

» 2010年03月01日 08時57分 公開
[藤田正美,Business Media 誠]

著者プロフィール:藤田正美

「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”


 IT(情報技術)とか情報化時代とか、さまざまなことが言われているが、どうも情報というものに対する足元の理解ということになると、心許ない気がするのは僕だけだろうか。

 例えば病院の電子カルテ。国から助成金が出ることもあって、病院は合理化のためにシステムの導入を急いでいる。結果的に、医師の診断情報の(病院内での)共有化や、料金計算の迅速化は図られる。しかし患者が自分のカルテに電子的にアプローチすることはできない病院が多い(千葉県の亀田病院は患者がPCでアクセスすることが可能だが、これは例外的である)。アクセスできない理由は、「個人情報の保護」である。しかし患者の利便性(例えばセカンドオピニオンをもらいにほかの病院に行く)を考えれば、電子カルテを患者に渡し、それを別の病院で開くことができればより正確なセカンドオピニオンが得られるかもしれない。

 将来のことを考えれば、せめてデータぐらい統一フォーマットにしておけば、相互利用もしやすくなるだろう。あるベンダーの人はこのようなことを言っていた。「実際にはシステム開発はベンダー任せになっていて、統一フォーマットなど夢のまた夢というようなものができあがっている」と。

国家とは情報管理の産物

 英エコノミスト誌の最新号のカバーストーリーは「The data deluge(データの大洪水)」だ(関連リンク)。データが洪水のごとく押し寄せて、それをどう処理し、利用するのかという特集である。その中に面白い記事があった。見出しは「The open society(開かれた社会)」である。

 その記事を抜粋して紹介する。

 大昔から現代にいたるまで、国家とは情報管理の産物である。しかし現代、オープンな民主主義とは公正な選挙で自由に投票するということにとどまらない。国民は、政府が保有するデータにアクセスすることを望んでいる。

 もともとはこうしたデータを一般市民が手に入れるのは難しかった。しかし最近では市民やNGOが公共のデータにアクセスを求めて政府などに圧力をかけている。そして政府もそうした動きを支持する場合がある。「政府が保有する情報はインフラのひとつ。我々の近代的生活にとって、道路や送電網、上下水道と同じように重要だ」とカール・マラムドは言う。彼は、政府のデータをオンラインで提供する組織の代表だ。1990年代、マラムドはSEC(米証券取引委員会)のデータベースをインターネットで利用できるようにするプロジェクトの責任者だった。

 この面で世界をリードしているのは米国だ。オバマ大統領は、大統領に就任してすぐさま各省庁のトップに対して国民にできるだけ情報を公開するよう求めたメモを送った。「不信に直面したとき、オープンであることによってそれに打ち勝つことができる」という前提で行動するようにと述べたのである。

 それ以来、連邦政府が保有するさまざまなデータが手に入るようになった。こうしたデータへのアクセスを提供することが、「説明責任の文化」を生み出したとビベック・カンドラ連邦政府CIO(最高情報責任者)は言う。

 米国以外の国でもオープンな政府へと動き出しているが、ほとんどの国が米国的なオープンガバメント精神を欠いていることだ。

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