なぜ無酸素で8000メートル峰を登るのか――登山家・小西浩文新連載・35.8歳の時間(2/6 ページ)

» 2010年02月16日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

 大人たちはものすごくゆっくりですが、確実に岩を登っていました。その姿を見て、こう感じたんです。「あの岩壁を登るのは怖い。自分にはできない。死ぬかもしれない」と“恐怖”を感じた。しかし、そのことが自分の中では許せなかった。直角の岩、しかも高さ40メートル。落ちたら死ぬ可能性は高い。確かに恐怖は感じたのですが、その一方で「いつかは絶対に登ってみせる」と強く誓いました。そして17歳のときに、その岩場を登り切り、自分の中の恐怖を取り払うことができました。

ブロードピーク(8015メートル)の頂上いる小西氏(パキスタン、1991年)

学校をズル休みして、山に

 小さいころから、とにかく運動が好きでしたね。いまでは考えられませんが、ウサギ飛びをしたりして。また当時人気があった漫画『タイガーマスク』に憧れてプロレスごっこをしたり、『あしたのジョー』を読めばボクシングをしたり。やたらめったら動いてばかりいたのですが、5〜6年生のときには漫画『空手バカ一代』の影響を受け、空手道場に通い始めることに。

 そして中学に入学し、サッカー部に入ることにしました。サッカーはとても楽しかったのですが、徐々に団体競技というものに違和感を感じ始めました。人のせいで勝つこともあれば、人のせいで負けることも。そして中学3年生、引退を控えた1カ月前に退部しました。

 山岳部に入部したのは、大阪にある私立高校に入学したとき。山岳部の練習は非常にハードでした。毎日30キロの石をかつぎ、学校の階段を1時間ほどかけて登ったり、降りたり。また1年生であっても、いきなり岩登りをさせられたり。やがて自分と他の部員との間に“差”を感じ始めたんです。高校生のときには北または南アルプスに登ることが多かったのですが、2年生からは1人で登るようになりました。部員に「冬の南アルプスに登ろう」と声をかけても、誰も一緒に登ってくれませんでした。いま考えると、仕方なかったかもしれません。冬の南アルプスは死人がたくさんでるところですから。

 そのころの私は学校にほとんど行きませんでしたね。だって1〜2カ月、ずっと山にこもっていましたから。親にはこんなことを言っていました。「オレ、風邪引いたから。学校に連絡しておいて」と(笑)。で、3月になって学校に行くのですが、先生には自分が山に登っていたことがバレているんですよ。それもそのはずで、顔が真っ黒に雪焼けしていたから。

 山に行っていたことがバレて、担任の先生には怒られましたね。平手打ちを何発も食らって。いまでいうところの“体罰”ですよ。あまりにもヒドかったので、同級生4人を連れて、その先生を“袋”にしようとしました。しかし先生は大学時代に空手をやっていて、袋にしようとした4人はあっという間にボコボコに(笑)。裏拳やら回し蹴りやら、まさに“秒殺”でした。

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