なぜ無酸素で8000メートル峰を登るのか――登山家・小西浩文新連載・35.8歳の時間(1/6 ページ)

» 2010年02月16日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

 35.8歳――。これはBusiness Media 誠の読者の平均年齢である(アイティメディア調べ)。35〜36歳といえば、働き始めてから10年以上が経ったという世代だ。いろいろな壁にぶちあたっている人も多いだろうが、人生の先輩たちは“そのとき”をどのように乗り切ったのだろうか。

 本連載「35.8歳の時間」は各方面で活躍されてきた人にスポットを当て、“そのとき”の思いなどを語ってもらうというもの。次々と遭遇する人生の難問に対し、時に笑ったり、時に怒ったり。そんな人間の実像に迫る。

今回インタビューした、小西浩文(こにし・ひろふみ)氏のプロフィール

1962年、石川県に生まれる。登山家。

15歳で登山を始め、1982年、20歳で中学の8000メートル峰・シシャパンマに無酸素登頂。1989年、ハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章受賞(ソ連崩壊により授与が中止となった)。1997年、ガッシャーブルム1峰(8068メートル)無酸素登頂に成功し、日本人では最高の8000メートル峰6座無酸素登頂を記録。現在、世界8000メートル峰全14座無酸素登頂を目指して、活動している。

著書に『生き残る技術――無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意』 (講談社プラスアルファ新書)


岩壁を見て「恐怖を感じた」

――世界には8000メートルを超える山が14座存在する。そこの酸素と気圧は平地の3分の1。気温は平均マイナス35度。人間が生存できない世界で、登山家・小西浩文はこれまで6座、酸素ボンベを使わずに無酸素登頂に成功している。

 8000メートル峰を目指す場合、ほとんどの登山家はキャラバン隊を率い、大量の酸素ボンベを消費し登頂する。しかし小西は少人数で、生まれ持った身体だけで頂上を目指す。なぜ彼は危険を冒してまで、山に登り続けるのだろうか。またどのようなきっかけで、山に登り始めたのだろうか。

登山家の小西浩文氏

小西浩文 先祖のお墓参りに行ったときのこと、3〜4歳のことだったかな。香川県高松市に先祖のお墓があるのですが、そこは山の中腹。高松にはたくさんの山があるのですが、「向こうに見えている山の向こうに何があるのかな?」と、“ビビッ”と感じたんです。私が山に興味を持ったきっかけといえば、このビビッときた感覚なんですよ。言葉で表現するのは難しいのですが、いまでもこの感覚は覚えていますね。

 そして小学校。兵庫県の宝塚市の学校に通っていましたが、校舎の裏には六甲山がありました。学校の授業が終われば、毎日のように友達と一緒に山の麓に行って、遊んでいましたね。渓流に入ってサワガニをつかまえたり、ヘビをつかまえたり、渋柿を取って食べたり。近くの川には岩壁があって、そこはロッククライミングの練習場になっていました。小学3〜4年生のころにそこで遊んでいたら、ロッククライミングをしている大人たちを見てショックを受けたんです。その岩場の高さは40メートルほど。角度はほぼ直角。また岩に手や足をかけるとこが、ほとんどない。

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