コラム
» 2010年02月01日 08時00分 UPDATE

ちきりんの“社会派”で行こう!:価値観が異なる人から裁かれるのは不利? (1/3)

価値観の多様化で、「お金さえあれば大きなクルマに乗りたい」といった“常識”が崩れつつある日本。多様なバックグラウンド、異なる考え方をする人々の共生を模索できるということで、ちきりんさんは裁判員制度の意義を訴えます。

[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2005年4月22日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


ah_beihei.jpg 沖縄の怒り―コザ事件・米兵少女暴行事件』(伊佐千尋著、文藝春秋)

 1995年、沖縄で米国海兵隊員3人が、12歳の小学生女児をクルマで拉致して集団強姦するという事件がありました。被害者の年齢や衝撃的な事件の内容に加え、日米地位協定に阻まれて米国兵の身柄が速やかに日本側に引き渡されない事態に、沖縄中で反米、反基地感情が爆発しました。

 米国兵3人はその後、那覇地方裁判所で裁判を受けることになりましたが、その際、米国から彼らの奥さんなど家族が来日して記者会見を行いました。彼女たちはその席で「陪審員制度もない野蛮な制度で裁かれるなんて、あまりに夫がかわいそう」と涙ながらに訴えたのです。ちなみに米国兵3人も配偶者も黒人でした。

 この時、ちきりんには「陪審員制度がない裁判=野蛮な制度」という意味がよく分かりませんでした。しかしその後、米国の裁判制度についていろいろと知っていくうちに、その発言の意味が理解できました。

 米国の裁判では一般人から選ばれた陪審員が有罪か無罪かを決めるので、「陪審員選び」が判決に大きな影響を与えます。陪審員は最初は無作為に選ばれますが、被告側も「自分側に不利」と思える陪審員については変更要請を出せるなど、その選び方ではテクニカルにいろんな工夫ができます。そのため、陪審員選びについて専門的にアドバイスをする“陪審員コンサルタント”などという職業まであるようです。

 また、陪審員は基本的にはその裁判所のあるエリアから選ばれるので、自分と異なる民族が圧倒的に多いエリアに住むと、裁判の時に不利になる可能性もあります。同じ米国人でも、欧州系、アフリカ系、イスラム系、アジア系、ヒスパニック系などによって価値観の違いもあれば、宗教の違いもあります。経済的な格差が民族によって分かれている場合もあるし、時にはあからさまな民族対立もあります。誰だって自分と同じ価値観の人が陪審員に多い方が有利だと考えるでしょう。

 特に被告と被害者の人種が違う場合、例えば被告が黒人で被害者が白人の場合、陪審員が白人ばかりであれば、被告にとって公正な裁きが行われるかどうか、不安になるのは理解できます。

 つまり沖縄の事件では、夫を逮捕された妻から見ると「アフリカ系米国人が全然いない日本の裁判で夫が裁かれるのは、あまりに不公平である」もしくは「反米・反基地感情が非常に強い沖縄というエリアで、米兵に対する裁判が行われるのは米兵側に不利すぎる」と思えたのでしょう。

 これらの発言は日米の裁判制度の違いからくるものなのですが、より広くとらえると、その示唆(しさ)するところは非常に興味深いです。

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