なぜ紙メディアは“四苦八苦”しているのだろうか上杉隆×小林弘人「ここまでしゃべっていいですか」(2)(1/2 ページ)

» 2010年01月15日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

 ジャーナリスト・上杉隆氏とインフォバーンの小林弘人CEOによる、対談連載2回目。新聞や雑誌など、いわゆる“紙メディア”の部数低迷が続いているが、その背景には何があるのだろうか。紙メディアのビジネスモデルに迫った。

上杉隆×小林弘人「ここまでしゃべっていいですか」バックナンバー

もう引き返すことはできないのか? ネットとメディアの関係


小林弘人(こばやし・ひろと)

1994年、インターネット文化を伝える雑誌『WIRED』日本版を創刊。1998年、株式会社インフォバーンを設立し、月刊『サイゾー』を創刊した。2006年には全米で著名なブログメディア『ギズモード』の日本版を立ち上げた。

現在、インフォバーンCEO。メディアプロデュースに携わる一方、大学や新聞社などに招かれ、講演やメディアへの寄稿をこなす。著書に『新世紀メディア論 新聞・雑誌が死ぬ前に』(バジリコ)のほか、『フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(日本放送出版協会)の監修を務めている。


構造的に自滅しがちなモデル

『サイゾー』(2010年1月号)

土肥 今後、紙媒体はどのようになっていくと思われますか?

小林 一概に「こうした方がいい」というのは難しいのですが、インターネットが彼らを滅ぼしたというよりは、構造的に自滅しがちなモデルですから。例えばユーザーの方を見ずに、自分たちが食っていくためだけに情報を“過剰生産”してきたことも原因ではないでしょうか。流通まで含めて、「疲弊しているな」としか言いようがない。

 もちろんインターネットの影響もあると思いますが、先天的・後天的な原因に分けると、後天的なものです。それによりさらにトドメを刺されました。しかし、弱り始めたのは先天的な要因によります。これまでの構造ではいまの時代にマッチしていないのは確か。

 僕は1998年に出版社「インフォバーン」を設立し、いきなり月刊誌『サイゾー』を出すという無謀なことをしてきました。なぜ無謀かというと、まず雑誌コードを新規に取得できない。発刊してから1年以上かかりましたね。それがないと「創刊」とうたえませんでした。だから、サイゾーの1号の表紙には「誕生!」とだけ書いてある(笑)。

 そんなこんなで、雑誌コードを借りるために、出版社を13社回りましたが、すべて断られました。そして14社目でようやくコードを貸してくれました。そこが出している雑誌の「別冊」という形で、ようやく『サイゾー』を出すことができたのです。

上杉 その煩雑なシステムは行政上の問題ですか?

小林 僕は2005年に内閣府の「コンテンツ製作委員会」に参加していました。そのとき関係者に「アレって独禁法にひっかからないの?」という話を持ち出してみましたが、それは言わない約束でしょ、みたいな大人の反応がかえってきました(笑)。

上杉 日本の政府には「新しいビジネスを支援する」という気がないなあ……今も昔も。

小林 全くありませんね。

上杉 特に既存の大手メディア……例えば新聞とテレビの新規参入については、驚くべきことに半世紀以上皆無です。また「潰れた」というところもほとんど聞きません。これは日本特有の現象です。

小林 メディア業界はある意味“カルテル”ですから(笑)。

上杉 まさにそうなんですよ。2009年11月に「ニューヨーク・タイムズ」が、国際面のトップで日本の政治とメディアに関する記事を掲載し、その中で次のような見出しを掲げました。「日本の記者クラブはカルテルだ」と。

小林 なるほど。僕だけが思っていたわけじゃないんだ。

上杉 ただし、これもいつものことなのですが、このニューヨーク・タイムズの記事に関しては、日本の主要メディアは1文字も1秒も報じませんでした。だからほとんどの日本人はその「カルテル」については知らない。つまりメディアが知らせないということは「国民には知る方法がない」ということです。

 例えば小林さんのように先駆的にメディア界で苦労されてきた方の、苦労すら「ない」ことになっている。そして、メディアの既得権益の壁にぶつかっていたことを、多くの人は知りませんよね。

小林 知らないですね。というより、気にならないでしょう。

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