私はインタビューを通じて、これまで多くの人に「なぜ踏み出したか?」を聞いてきた。“劇的なイベント”を期待していたのだが、たいてい肩すかしに合った。「『仕事の教室』をパラパラめくって(デザイナーになった)」「小学校時代から習っていた習字を思い出して(書家になった)」「描きたいことがペンタブでは追いつかず(絵筆を持ちだした)」など。
雷に打たれたような体験から踏み出した人もいるだろうが、「父が使わないカメラを使って」映画を撮りだした『捨て猫OL』の山下敦弘監督のように、きっかけは割とささいなことである。
しかし、きっかけはささいなことでも、そのウラには2つの情景がある。1つは雨だ。踏み出す背景では雨が降っている。空からの雨ではなく“心の中の雨”である。しっくりこない毎日、もやもやする心。くり返し仕事の無感動や、会社や組織からの浮遊感、やりがいなき喪失感、マユミのようにヘマからの劣等感もあるだろう。環境と自分との不調和がどこかにある。
雨に濡れながら、「自分の傘は何か?」「自分は何者か?」と考える。それが2つ目の情景である。“傘”とは新しい体験、勉強や資格挑戦、趣味や習い事である。私は雨の中で中小企業診断士の勉強を始め、またブログを始めた。自分ができそうなこと、続けて差せそうな傘を選んできた。でも傘はなかなか開かないし、骨は何度も折れたが、そのたびに何とかつないできた。
雨が降り、自分とは何かを考え、自分の傘を持つ。動機付け心理学理論では“外発要因(雨)”と“内発要因(自分と傘)”と言うが、この2つはセットである。セットだからこそ、人間は踏み出せるのだ。
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