もう引き返すことはできないのか? ネットとメディアの関係上杉隆×小林弘人「ここまでしゃべっていいですか」(1)(2/4 ページ)

» 2010年01月12日 11時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]
ジャーナリストの上杉隆氏

小林 まあ、その後の変貌ぶりを考えるとそれも興味深いのですが(笑)。しかし日経新聞ばかり責められないのは、割とそういう態度が一般的でしたから。

上杉 そのテープは、持ち込んだほうがいいですよ。だいたい大手メディアの記者というは「どの口で言った?」と突っ込みたくなる人ばかりだから。自分で言ったことに対する、検証とか責任はありませんからね。とりわけネットに対する理解はその最たるものですね、現在もなお。

小林 ハハハ。最初にニュース番組で慶應義塾大学の村井純さんが取り上げられ、1995年、神戸・淡路大震災が起きたときに、インターネットが注目され始めました。そして1999年〜2000年くらいにかけて、一般企業や政治家たちもカネの匂いを嗅ぎつけてか、インターネットの分野に進出してきましたね。そもそもはサブカルチャー的土壌がコンテンツなどを育てていましたが、次第に商用化されていきました。

 最初、インターネット広告が登場したとき、米国では先端的な知識人たちが叩いていましたよ。「ネットで広告なんてけしからん」みたいな。今では信じられないでしょうが(笑)。

上杉 その当時はパソコン通信が普及していて、それに日経グループが携わっていました。その“利権”を守るために「インターネットは普及しない」と言っていたのでは?

小林 いや、彼ら……というか多くのメディア人は単純にインターネットというものをユーザー視点から理解できていなかったのでしょう。

上杉 なるほど。

小林 「ある意味しょうがないな」と思う部分もあって、当時は文豪やOASYS(オアシス)といったワープロが主流。企業にPCがあっても、それを使いこなせる人は少なかった。またPCの台数も少なかったので、私も会社の部署に1台だけのPCにポストイットを貼って「何時から何時までは、小林がこの作業を行う」といったことを宣言していました(笑)。またLANを導入している企業は少なかったため、フロッピーを足で運んで届ける「スニーカーネットワーク」が主流でしたね。ちなみに運ばないで、フロッピーを投げたら、「フリスビーネットワーク」と言います。

 当時の僕は「インターネットによって社会がこう変わる。ビジネスやエンターテインメント、メディアがこう変わる」といった話をしていました。しかし地方での講演会などでは「宇宙人が来て、宇宙語をしゃべっている」といった感じで受け止められていましたね(笑)。『WIRED』の媒体説明会では、本誌よりもインターネットの説明のほうに時間を多く取られました。

上杉 結果として、時代が小林さんに追いついてきた……。逆に言うと、小林さんは時代を先取りしすぎていたのかもしれませんね。

小林 自分では半年以上遅いくらいだと思っていますが、やはり早すぎましたね(笑)。

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