1994年――。まだ“インターネット黎明期”ともいえる時代に、ネット文化を伝える雑誌『WIRED』日本版を創刊した小林弘人氏。ネットメディアの“仕掛け人”ともいえる彼は、現在のテレビや新聞をどのように見ているのだろうか。
こうした問題について、永田町を舞台に取材を続けているジャーナリスト・上杉隆氏と小林氏が徹底的に語りあった。上杉隆×小林弘人「ここまでしゃべっていいですか」対談を全10回にわたって連載する。
1994年、インターネット文化を伝える雑誌『WIRED』日本版を創刊。1998年、株式会社インフォバーンを設立し、月刊『サイゾー』を創刊した。2006年には全米で著名なブログメディア『ギズモード』の日本版を立ち上げた。
現在、インフォバーンCEO。メディアプロデュースに携わる一方、大学や新聞社などに招かれ、講演やメディアへの寄稿をこなす。著書に『新世紀メディア論 新聞・雑誌が死ぬ前に』(バジリコ)のほか、『フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(日本放送出版協会)の監修を務めている。
土肥(編集部) 小林さんは出版とWeb、両方の世界でご活躍されてきました。
小林 僕は1992年、同朋舎出版に入社し、書籍編集に携わってきました。そして1994年に、インターネットがどう社会を変えていくのかについて伝える情報総合誌『WIRED』の日本語版を自ら契約にも赴き、その後編集長として創刊しました。1994年といえば、日本のネット人口は5万人もいませんでしたね。当時の郵政省が商用接続の許可を出したことで、初めてIIJ(インターネットイニシアティブ)という会社が、インターネットのサービスプロバイダーとして運営を開始しました。それまでは一部の研究機関や大学、モグリのプロバイダーを除いた限られたアクセスポイントでしかインターネットには接続できませんでした。
上杉 それからわずか15年ほどで、あっという間にインターネットの世界は広がったわけですね。
小林 確かに振り返ってみると、あっという間です。しかし当時、記者会見を開いたとき、日経新聞の記者がこのような質問をしてきました。「インターネットは米国の文化。米国のインフラを持ってきたところで、それを報じるメディアを立ち上げても失敗すると思いますが、いかがでしょうか?」という趣意の発言でしたね。日経新聞の記者が言ったことは、きちんとテープにも録音しています(笑)。
上杉 そのテープ、日経新聞に持ち込んでみてはどうですか?
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