『愛があれば大丈夫』はクラシック音楽だった――広瀬香美さん(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(5/5 ページ)

» 2009年12月26日 10時53分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]
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マイケル・ジャクソンの死、そして未来に向けて

 2009年6月、マイケル・ジャクソン死去。広瀬香美さんの「マイケルに自分の曲を歌ってもらう」という目標は、ついに実現されることなく、見果てぬ夢に終わってしまった。

 しかし、彼女がこの壮大な目標を掲げたからこそ、「シンガーソングライター」としての広瀬香美さんは誕生し得たのである。そして、その彼女の歌によって、一体どれほど多くの人たちが“微笑”を得ただろうか。

 本原稿の執筆中、長崎で不治の難病と戦っている女性から筆者のもとに1通のメールが届いた。その女性は広瀬香美さんの歌が大好きで、日々の生活の中でよくCDをかけ、自分でも歌っているとのこと。そして、彼女の十八番(おはこ)は「DEAR….again」であると綴られていた……。

 これは、ほんの一例に過ぎない。たとえ広瀬さんのツアーに行かなくとも、あるいはTwitterに参加していなくとも、全国津々浦々に、広瀬さんの歌を愛し、心の拠り所にしている人は大勢存在するのである。

 最後に、広瀬さんにとって、時代がどう動こうと決して「変えてはいけないこと」(=不変)は何か、そして、環境変化に即し「非連続・現状否定」型で「変えていかなければいけないこと」(=革新)は何か、について訊ねてみた。

 「“音楽を通じて、人を幸せにする、笑顔にする”ことは、自分の人生のミッションとして、何があっても決して変えてはいけない部分だと考えています。その一方で、時代の変化を素直に認めること、昔のやり方から脱皮して新しいことにチャレンジしてゆく勇気、変化を恐れないという姿勢が必要だと思います。それまで経験のなかったブログやTwitterへの挑戦は、まさに、そうした姿勢の現われだと思っています」

 「不変」と「革新」の対象を的確に識別し、「不変」を堅持するとともに、「革新」を断行していることが伺われる。現代において成功を収めているビジネスリーダーたちとも共通する姿勢である。

 「今後は、『作曲』『歌』『教育』をバランスやってゆきたいです」と語る広瀬さん。きっとこれからも、日本全国に“微笑の輪”を広げてくれるのではないか……そんな気がしてならない。

 →冬の女王がTwitterの第一人者になったわけ――広瀬香美さん(前編)

広瀬香美 Information

マキシシングル「とろけるリズム」

「タイアップコレクション〜広瀬香美のテレビで聴いたあの曲達〜」

配信限定アルバム「ビバ☆ベスト」

コンサートツアー「香美別邸」

  • 2010年1月より、コンサートツアー「香美別邸」がスタート。
  • 詳細はこちらから。

嶋田淑之(しまだ ひでゆき)

1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」「43の図表でわかる戦略経営」「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。


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