元朝日新聞の本多勝一が語る、2つの戦争と記者の覚悟(前編)(2/3 ページ)

» 2009年12月22日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

――ベトナム戦争を取材するにあたって、恐怖感はなかったのですか?

 正直言って、恐怖感はあった。というのもすでにベトナム戦争で死亡した記者はたくさんいたからだ。日本人だけではなく、世界中のメディア関係者が被害に遭っていた。しかしそれは覚悟のうえ。いまと違って、そのころの新聞社は競争が激しく、各社はベトナム戦争の連載や特集をかなり報じていた。なので「他社が報じていないことは何か?」と考え、3つのアイデアが浮かんだ。

 1つめは「民衆の日常生活にスポットを当てる」というもの。2つめは「戦場の現場」が報道されていなかったこと。カメラマンは戦争の最前線に足を踏み入れていたが、記者はせいぜい米軍基地くらいにしか行っていなかった。3つめは「米軍と戦う、解放戦線側のルポルタージュがなかった」。日本のメディアだけに限らず、他国でも報じられていなかった。私は「この3つを取材しよう」と決め、ベトナムの戦地に足を運んだのだ。

新聞記者は一次資料で勝負すべし

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――ベトナム戦争のときと比べ、イラク戦争は世論の反戦ムードが弱かったように感じます。その理由は何でしょうか?

 背景にあるのは単純なことではない。ベトナム戦争の場合、米兵が目に見える形で戦死し、彼らの遺体は日本経由で米国に運ばれていった。さらに当時は学生運動が盛んで、学生が世論を引っ張っていた。しかし、いまの学生にその力はほとんどない。

 またイラクやアフガニスタンは日本から物理的に遠い。しかもイスラム圏なので、文化的にも縁が薄い。また昔と違って、いまの若者は外国にあまり興味を持たなくなった。これはいろんな原因があると思うが、ベトナム戦争のときと比べ、いまは外国への出入りが非常に簡単。法的・経済的にも外国に行きやすくなったので、外国と日本との垣根がなくなってきたのかもしれない。こうした背景があって、若者の間で外国への興味が薄くなってきているのだろう。

 また戦場から記者を排除したことも大きいのではないだろうか。イラクがクウェートに侵攻したとき、記者はほとんどいなかった。そのとき戦争の現場はかなりヒドイことがあったが、そのことはほとんど報道されなかった。ベトナム戦争ではカメラマンは戦争の最前線、記者は基地で取材していた。しかしイラク戦争はそれができなかったのだ。いろいろな状況があったと思うが、それでも記者は「手段を選ばずに、(イラク戦争の)最前線に入るべきだった」と思う。

 戦争の最前線に入るのは米軍であっても、イラク側であっても、どっちでもいい。ただイラク側の場合、ベトナム戦争のときの解放戦線側のように規律が厳しくなかったようだ。なのでイラク側の記者に付くということは、かなり危険があったはず。ベトナム戦争のとき解放戦線側は記者に対し、気を遣ってくれていた。私は場合は正式な手続きをしたうえで、戦場に足を踏み入れたが、そうではない人に対しても、解放戦線側は気を配っていた。なぜ解放戦線側がそういったことをしたかというと、もしメディア関係者が亡くなると「解放戦線が殺した」と言われるからだ。

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