では、なぜ日本には何とかレンジャーがこんなに生まれて、海外では皆無なのか?
その理由は、よく宗教観の違いだと言われている。米国のヒーローはスーパーマンやバットマンに代表されるように、人間の変化したものとして描かれる。キリストが人間であったように……。だから、強い男の象徴としてマッチョであるし、わけの分からん必殺技も持たない。人間が神なので、外から来る他者は、ほとんどが敵の扱いになる。
それと比較すると、日本には八百万の神々がいる。だからバッタが仮面ライダーになるし、ウルトラマンは宇宙人でも私たちの味方である。それを幼少の多感なころに見ていた男の子たちは、今やいいおっさんで、地方の村興しの中心的役割を担っている。
そうなると、トウモロコシが、ウシが、エビが、ホタテが、シャケが、北海道ではヒーローとして再生される。神になれる。全国各地の人々が、見るモノ、愛するモノ、全部が「何とかレンジャー」になれるわけである。
こういう日本文化に目をつけ、「何とかレンジャー」を増やす後押しをしているのが、日本の玩具メーカーである。販売のことを考えると、キャラクターは1人より多いほど良い。人気が出たらバージョンアップを次々とさせた方がよい。必殺の武器も多いほど玩具は売れる。何とかレンジャーは、一発当たるとすごいんじゃーなのである。
しかし、いくらローカルヒーローが活躍しても、残念ながらどの地方にも現実のコヨーフアン、キンユーハタン、カカクハカイ、タンカサゲルダ、リストランダはやってきて、その街を破壊している。「地域戦隊カッセイカマン」の活躍も、「戦う秋田名物超神ネイガー」の活躍も、現実的には、焼け石に水なのである。
冷めた見方をすれば、地方で地域活性策を担っているはずの昭和30〜40年代生まれのおっさんたちが、昔を懐かしんでフキョーやチイキカッセイをネタにしている程度の話である。
そこで、同じ年代のおっさんとして、ローカルヒーローを生み出しているであろう地域のおっさんたちに反省を促したい。
この時代の地域活性や革命的活動を、過去の憧憬に委ねていいのか? 革命やイノベーションのための活動の真のインセンティブは「新しい世界を見る喜び」である。まだ見たことがないもの、やったことがないものを成し得る興奮と感動が、改革運動のインセンティブである。
地域活性や改革のためにローカルヒーローを誕生させるやり方は、そのインセンティブを獲得しに行っているとは言い難い。過去に帰っているだけである。新天地は、見えない。
明治維新の時と同じように、革命はきっと辺境から訪れるンジャー! コヨーフアン、キンユーハタン、カカクハカイ、タンカサゲルダ、リストランダをやっつけるのは、憧憬になぞらえた「何とかレンジャー」ではなく、きっと地方に生きながらも、明るい未来を信じる生身の人間なんじゃー! (中村修治)
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