朝日新聞の“名物記者”は、こんな人たちと戦ってきた(2/4 ページ)

» 2009年12月15日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

ジャーナリズムを定義する

 また世の中の変化が、ジャーナリストのあり方を難しくしているのではないだろうか。ジャーナリズムというのは志だけでは、ジャーナリズムとは言えない。志さえ良ければ何でも思うがままに書く――これはジャーナリズムとは違う。やはりジャーナリズムにはきちんとしたルールがなければならない。

 私なりにジャーナリズムを定義すると、「志があり、ルールに基づいた報道」をすることだ。ルールというのは「ウソを書かない」ということ。ウソを書かないというのは簡単なように聞こえるが、実は難しい。自分は正しいと信じていても、間違うことがある。例えば政界の取材は「(取材相手が記者に)書かせよう、書かせよう」とするので、危ないケースが多い。会合で何が話し合われていたのかを1人だけに話を聞いても、なかなか分からない。なので“裏を取る”という作業をしなければならない。これは記者として基本のルール。ちなみに私は、週刊誌で相当デタラメなことを書かれてきた(笑)。

 もう1つのルールは取材や報道によって、人々や組織に対し、不必要な迷惑をかけてはいけない――ということ。これはプライバシーに踏み込んだり、取材源を明かしてしまったりすることだが、プライバシーについては踏み込まないといけないときがある。例えば権力を持っている人たちに対し、ジャーナリズムは迷惑をかけっ放しだ。しかし「有名な人だからいいだろう」といった考えで、プライバシーに踏み込んではいけないと思う。

 プライバシーに関する感覚は、昔とかなり違ってきている。さらに報道されたことに対するリアクションも変わってきている。昔は泣き寝入りするケースが多かったが、いまは裁判に訴えたり、不買運動をしたりする。こうしたリアクションによって、報道側の自己規制の本能が働きやすくなるのだ。最近の朝日新聞は、その典型だと感じている。報道したことで猛烈な抗議などがきて、不買運動でもされたら、購読部数が減少するかもしれない。さらにスポンサーを怒らしてはいけない……といった考えが働いてしまう。要するに「これくらいで批判するのを止めておこう」といった感覚が、今日のジャーナリズムに存在しているのだ。

ジャーナリズムが果たしてきた役割

 これまでジャーナリズムが果たしてきた役割はたくさんある。例えば米国のニクソン大統領を失脚させたウオーターゲート事件は、ワシントンポストの記者2人の独自取材から始まった。また朝日新聞の横浜支局の取材をきっかけに、リクルート事件に発展した。多くの実力政治家がリクルートの未公開株を手にしていたことが明らかになり、その結果、当時の竹下内閣が崩壊した。

 逆に新聞ジャーナリズムにとって屈辱的だったのは、立花隆さんによる田中角栄金脈問題だ。これは立花さんと文藝春秋の取材チームが、雑誌に金脈問題を取り上げたことで、当時の田中総理は退陣に追い込まれていった。一方、新聞の政治記者はといえば「この問題を知っていたのに何も書かなかった」などと弁解し、これが大きな問題にもなった。

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