貧すれば鈍する前に、『毎日新聞』に見習うべきことジャーナリスト斎藤貴男氏が、メディアを斬る(2/3 ページ)

» 2009年12月08日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

 こうした偽装記事はなくなったのだろうか。いや……決してそうではない。いまは原子力発電所をめぐって、同じようなことが行われているのだ。これも魚住さんが書いているが、今度は裁判員制度のときのように偽装した広告記事ではない。資源エネルギー庁と地方紙が共同でシンポジウムを開き、その内容を紙面に掲載しているが、「広告」というクレジットを付けているのだ。しかし原発という大きな問題に対し、メディアはカネのくれるところに簡単になびいてしまう――。こうしたメディアの体質に、問題があるのではないだろうか。

 ジャーナリズムというのはネタをとってくる際、中央官庁を外すことは難しい。なので記者は中央官庁の人たちと親しくしなければ、ネタをとることが難しくなるのだ。こうした関係はある程度仕方がないことかもしれないが、情報をくれる中央官庁にジャーナリズムがどんどん擦り寄っているのではないだろうか。特にカネをくれるところにすりよっているように感じている。

全国地方新聞社連合会の公式Webサイト

 またネットなどの影響もあり、新聞の読者はかなり減ってしまった。テレビについても「広告の効果が薄くなった」といった指摘があり、なかなか広告が入りにくくなっている。そのため新聞社やテレビ局は経営難に陥っているが、メディアはいわゆる“貧すれば鈍する”になってはいけない。しかし多くのメディアは本業のジャーナリズムのあり方を変えてしまい、「カネを手にしよう、カネを手にしよう」とばかり考えている。その1つの例として、多くのメディアは記事か広告記事か分からないような、紙面・番組作りが行われているのだ。

フリージャーナリストとして生活をしていくのは大変

最終号の『月刊現代』(講談社)

 私は雑誌を中心に仕事をしているが、ここ数年、急速に雑誌そのものがなくなってきている。例えば『月刊宝石』『月刊現代』『論座』『月刊プレイボーイ』『ダ・カーポ』などが、それぞれ休刊となってしまった。購読部数や広告の減少などにより、次々に雑誌がなくなっているが、私たちのようなフリーの人間はどこで書けばいいのだろうか。取材をしても、掲載できる場が少なくなってきているのだ。

 私の場合、ときどき単行本の仕事がくるが、いきなり本に書き下ろすのはとても難しい。そこで編集者はこんな提案をしてくれる。「(無料で配っている)PR誌で連載をして、それを本にしてくれないか?」と。しかしPR誌は無料ということもあり、予算が少ない。取材費もなく、原稿料も商業誌と比べ半分以下。以前と同じように仕事をしていても、私の収入は3分の1ほどに減ってしまった。フリージャーナリストとして生活をしていくのは、本当に大変になりつつあるのだ。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.