張 強調したいポイントの3つ目は国が平和を維持していることが、経済が持続的に早いスピードで発展するための基礎になったということです。
通常、1つの国家が発展するためには、少なくとも30年程度の時間がかかります。つまり、1世代の人が努力してやっと、国に根本的な変化が現れるということです。米国もドイツも日本も同じです。
中国ではこの120年間に30年の期間が4回ありましたが、長期的に安定した時期はそれほどありませんでした。
2009年の120年前は1889年、清の光緒帝※の時代です。当時の中国にはさまざまな問題があり、欧米の先進国との差はかなり開いていました。1890年代以降、日清戦争や義和団の乱、辛亥革命、第一次世界大戦などがあり、1919年の五四運動※※までの30年間が最初の不安の時期になりました。
1919年以降も中国は軍閥同士の戦争や北伐、第二次世界大戦、解放戦争などがあったため、1949年に中華人民共和国が成立するまでの30年間はやはり不安の中にありました。ここまで60年間、中国経済はまったく安定しなかったので、世界の先進国との差はますます広がってしまいました。
1949年に国民党が台湾に行った時から、やっと復興できるようになりました。安定した国家環境のもと、1953年からは第1次5カ年計画をスタートして、非公有制経済から公有制経済への転換を推進しました。ソ連の支援のもと、農業や工業などの基礎を固めるため、156の大規模プロジェクトを進めました。
中国政府は管理経験に乏しかったため、「英国を追い越し、米国に追いつけ」といった思想的なスローガンを使って政治や経済などの改革を進めようとしました。しかし、文化大革命ではこうしたやり方が極端な方向に向かってしまったため、“政治的内戦”が10年間にわたって続き、経済は停滞することになってしまいました。
1949年からの30年間は新中国の始まりで、その経験も注目されているのですが、“政治的内戦”のために経済が不安定になってしまいました。しかし、この30年間は、その後の30年間の経済発展の基礎を形作ったと言えます。
直近60年間の中国について議論すると、最初の30年間については肯定的な評価がある一方、批判的な声もあります。しかし、正しかったかどうかは置いておいて、当時のGDP成長率を見ると、年平均6〜7%くらいあるのです。実際、最初の30年間に重工業を発展させたことは、その後の30年間の基礎となっています。ただ、胡錦濤主席は、最初の30年間のような急進的な改革はせずに、漸進的にやっていこうという理念を持っています。
中国が安定して発展できるようになったのは、開放政策後の30年間です。安定した国家環境を維持するという理念を持っていたことが、その30年間の中国の発展につながっています。その中では、中国を混乱させたいという外部の力もありました。しかし、中国は安定して経済を発展させたいので、世界が平和で、民族が調和して一緒にやっていける社会を望んでおり、そうすることでこれからの30年間はもっとすばらしい経済成長ができると信じています。
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