これらの評価も北川さんの自信となったのだろう、彼女は本場スイスで勝負したいという想いを募らせてゆく。「これまで私がやってきたことを1枚のCDにまとめて、それをスイスで出そうと決意したんです」
この決意は早くも今年(2009年)の4月に実現。日本人として初の快挙であり、これもスイス国内で広く報道・紹介された。躍進は続く。
「今年の10月にスイスで初めて開催された『インターフォルク・ユングフラウ』という大きなイベントに、日本人として1人だけ招聘されたんです。これは、インターフォルク・ユングフラウ実行委員会が主催し、ユングフラウ鉄道などの地元企業がスポンサーについたイベントです。アルプホルン、旗振り、ヨーデル、バンド、刺繍、ゲーム、ハックブレットなど、スイスの民俗的な文化を選りすぐって、その祭典をユングフラウ地方で行なったのです。そこには、スイスの各分野の代表だけでなく、オーストリアやドイツからも実力者たちが招聘(しょうへい)されていました。
スイスは6〜7月がハイシーズンで、10月はもう寒いんです。ですから屋外ではなく、毎日、順番にいろいろな街で屋内イベントをやってゆくのです。ユングフラウ地方(ベルナーオーバーラント)は、マッターホルンと並びスイスを代表する観光地ですが、この時期は年間を通じて観光客が最も少ない時期なので、ハイシーズンを広げたいという、国や自治体あるいは地元企業としての思いもあっての開催だったのかもしれません。
地元の方々が手をつないで実行している、とてもデモクラシーを感じるお祭りでした。スイスの各民俗分野を代表する方々が一堂に会したという意味で、とても画期的ですし、スイス最大級のお祭りなのに、広告代理店が儲かるわけでもないんです。スイス連邦ヨーデルフェストもそうですが、この辺が実にスイス的というか、実行委員長は学級委員長のような感じで。『私たち』という横並びの主語を大切にする、スイスらしいステキなお祭りでした」
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