大学生として、自分の将来について、どのようにイメージし、どんな準備をしたのだろうか?
「当時は、同学年180人のうち半数くらいの子は、ふつうに結婚して家庭に入りたいという感じでした。でも私は、歌も演劇も好きということで、やはりオペラ歌手になりたいと思いました。それで二期会オペラスタジオの研究生になりました(その後、二期会オペラ会員)」
オペラでのはまり役は、モーツァルトの歌劇『魔笛』のパパゲーナを筆頭とする、純情可憐で動きの多い娘役や、少年少女役。自身が演じる役とは大きく離れるが、ヴェルディの歌劇『ラ・トラヴィアータ』のヴィオレッタ、レオンカバッロの歌劇『道化師』のネッダなども個人的には好きだったという。
どのようにして、プロの音楽家としての実力を蓄え、人間としての幅を広げていったのだろうか?
「その頃は“何と時間を取り換えるか”ということを常に考えていました。特に重視したのは本番の場数をできるだけたくさん踏むことです。『舞台は板の数』と昔から言いますので。オペレッタで小学校を回る仕事なども、大好きでよくやっていました。
歌以外でも、『表現』を磨くことにつながる仕事には取り組みました。私がそれをすることで人が夢を見られるのなら……という思いで、トーク、飴細工、バルーンマジック(細長い風船で動物などの形を作るもの)、アコーディオンの流しを始め、いろいろな仕事をしました。
ただ、アウトプットだけではいけないんです。いかにして自分の引き出しを増やしていけるかが大事なのです。だから、舞台や絵や造形や映画など、表現芸術をたくさん観ました。こうした機会を通じて、いろんな人と出会い、たくさんの価値観や生き方に触れてこられたと思います。ありがたいことです」
「芸の肥やし」という表現がある。芸術・芸能の世界では、様々な(人生)経験を積むことを通じて、芸が深くなり、人間としても幅が出てくると言われている。北川さんもまた、そうした多くの経験を通じて、芸術家としてのスケールを増すとともに、人間としての幅を広げていったのであろう。
北川さんがプロフェッショナルな音楽家としてのキャリアを構築してゆくにあたって、自己イメージとして、どういう音楽家を指向したのだろうか?
「『自分ならでは』という確固たるものを持った音楽家ということでしょうか」
世界的に音楽家の没個性化が指摘される昨今であるが、北川さんは、ほかの人にはできない、彼女ならではの独自性のある楽曲解釈や表現を常に意識していたということだろう。だからこそ「ヨーデルの第一人者」としての現在の立場を築くことができたのではないか。
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