しっとりとした表現力、さすがのFUJINONレンズ-コデラ的-Slow-Life-

» 2009年11月16日 08時00分 公開
[小寺信良,Business Media 誠]

 FUJINONといえば今でこそ一大レンズブランドに成長したが、このカメラが登場した1970年代にはまだ、カメラメーカー、レンズメーカーとしての認知度は低かった。「鳴り物入りで一眼レフ市場に参入」といった書き方をしていた本もあったが、筆者が暮らしていた地方部では、そんな都市部の威光も届かなかった。大判、中判のレンズでは評価が高かったようだが、趣味で大判や中判のカメラを使う人など、そうそういなかったのである。なにせ「写ルンです」すら登場していないころの話なのだ。

 →富士フイルム初の一眼、FUJICA ST701

 →意外に何とかなるレンズのカビ

 だから、当時中古の中でも、FUJICAのカメラは相当安かった。同クラスのカメラと比べると半額とまではいかなかったが、3割くらいは安かった。だからこそ、父がポケットマネーで買ってくれたのである。

 もちろん買ってくれたことには大変感謝しているが、父はとにかく安いものが大好きで、必要がなくても安ければ買ってくるというタイプの人である。昨今は100円ショップでわけの分からぬものを買い込んでは母に怒られる毎日なので、まあこのカメラもショーウィンドウの中で一番安いものであったわけだ。当時中学生の筆者も、「大丈夫かいなコレ」と思っていた。

 ただ、今の目線で見れば、“あの”FUJINONレンズということになる。30年越しで放置したカビで先行きが思いやられたが、思いのほかきれいになった。生きているカビはどんどんレンズに食い込んでいって、クリーニングしてもきれいにならない場合もあるが、今回は早めに死んでしまっていたらしく、表面にこびりついていただけのようだ。

Super-Takumarとも違う深み

 では早速、クリーニングしたボディとともにテスト撮影である。露出計の動作が怪しいので、別途露出を計りながら撮影した。

 同じM42マウントでは、PENTAXのSuper-TakumarやSMC-Takumarがぼけ味の美しさで有名なところだ。ピントがあった部分の前後が急速にふわーっとぼける感じがなかなかいいのだが、FUJINON 55mm/F1.8は、ほぼ同じような設計でありながら、そういうタイプではない。

 インフォーカス部分がかなりシャープで、エッジに鋭さがある。そしてそこからなめらかにぼけにつながるあたりが、なかなか魅せるレンズだ。ぼけの中にも芯があり、構図上の中心に対する背景の存在感が、ちょうどいいバランスで存在する、そんな絵になるレンズである。また開放ではソフトなエッジで、花の接写ではそこはかとなく幸せな感じを写し取ることができる。

シャープなインフォーカス部からなめらかにぼけにつながる
開放ではイイ具合に柔らかな描写
ぼけの中の空気感がいい

 幸いにしてカビの影響は、絵を見る限りほとんど感じられない。Super-Takumarと並んで、使い勝手のあるレンズと言えそうだ。ただ難点は、Super-Takumarのようなオートとマニュアルの切り替えスイッチがなく、自動絞りに対応したボディでないと絞りが動かないということ。したがって以前ご紹介したZENIT-EEdixa Reflexにも付くことは付くが、開放でしか撮れない。

コントラスト感も高く、落ち着いた絵柄になる

 ボディのST701は、分割巻き上げができないので、ちょっと巻き上げに失敗して焦ることがあったものの、動作としては軽快である。ファインダーも明るく、フォーカスが見やすいのもいい。これで露出計が完璧なら言うことはないのだが。

 あと、シャッターのストロークが軽い。「よし、撮るぞ」とシャッターに力を入れると、ぐっと気合いが入るまえにパシャンと撮れてしまう。まあ気負わなくていいという部分ではそれなりに成功しているのだが、何となく撮影が軽薄な感じになってしまうのが残念だ。

小寺 信良

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映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作はITmedia +D LifeStyleでのコラムをまとめた「メディア進化社会」(洋泉社 amazonで購入)。


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