変わる“常識”に気付いていますか?ちきりんの“社会派”で行こう!(1/2 ページ)

» 2009年11月09日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2005年4月20日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 “常識”や“先人の知恵”と言われることの中には、長年有効で変わらないこともある一方で、世の中の変化にともない通用しなくなってしまうものもある。その見極めが中々難しい。

出典:日本養鶏協会

 身近な例では、料理法の常識なども結構変わっていると思う。昔、ちきりんが母に料理を習った頃は、「卵は1つずつ小さな入れ物に割って、血が混じっていないことを確認してから大きなボウルに移す」ように教えられた。

 でも実際、血の混じった卵を見たことは、ちきりんは一度も無いです。つまり、最近はもうそんな卵は流通していないんです。なぜなら、“卵のデキ方”が変わってしまったから。

 昔はコケコッコって感じで、庭で飼われている鶏から生まれた卵が世の中に出回っていた。流通段階での温度管理も完璧とはいかない。有精卵だから途中で孵化(ふか)が始まって血が混じるものもある。

 でも、今は鶏舎のブロイラー的育て方の鶏が産んだ卵ですよね。流通の温度管理もしっかりしている。血が混じる卵なんてないんです。つまり現在では、複数の卵を割るときにわざわざ2つの別の容器を汚す必要はないってこと。

 それに昔は卵はぜいたく品。血が混ざった卵1つのために複数の卵が全部使えなくなるのは深刻な被害。だから用心した。でも今、卵はそこまでぜいたく品ではないし、そんなものがあれば購入したスーパーに持っていけば返品、交換に応じてくれたりもしそう。

 いずれにせよ、これって“常識でなくなった過去の常識”の代表例だと思います。

 こういう「仕組みが明らかに変わった」と説明できることは比較的分かりやすい。でも“社会的な常識”は、いつの段階で常識でなくなったかが分かりにくい。

 「高校くらい行くべき」「学歴は投資する価値がある」「結婚していないと一人前じゃない」「親の面倒は見るべき」「会社にとって社員は家族」、もっと言えば、「働かざる者食うべからず」的な発想も、今や常識なんだかどうだかよく分からないと思います。

子どもの未来のために……

 インドのカースト制度。法律でも差別は禁止されているし、あってはいけないことと認識されていても、まだ根強く残っている田舎もある。その一番下に生まれたら、家政婦の仕事についてもトイレや床の掃除しかさせてもらえない。皿洗いはそういう不浄な人たちに任せてはいけない、などと聞いたことがあります。

 そういう慣習がまだ色濃く残っている田舎の村で男子が産まれると、「子どものうちに何かしら障害を作っておく」ことがあるそうです。例えば右足のひざから下を切ってしまうこともあるというのです。母親が子どもへの愛情から自分の息子の右足を切り落とすなんてどういうことか?

 「こんな身分で生まれたら、結局は施しで生きていくしかない」と考えた場合、女の子なら、乳飲み子を2人ほど抱えて道に座っていれば施しが受けられる。でも、五体満足の男の子は施しがもらえない。「どうせ仕事につけないなら、施しが受けやすい状態にしておいてやるのは親の愛情である」ということです。それで“わざわざ”自分の子どもに障害をつくる。

 この母親の常識は“自分の時代の常識”です。今や、インドでそういう立場に生まれても、カリフォルニアに移住して、才能があれば世界的なIT企業の経営者になれたりするかもしれない。

 でも、そんなことはインドの田舎の貧村では想像もつかない。だから“自立して生活する力”を子どもに付けたいと思う母親のやることは“子どもに障害を持たせること”なのです。何だか悲しくなってしまいますよね。

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