お得感のトリック “妥当な価格”は幻想?ちきりんの“社会派”で行こう!(2/3 ページ)

» 2009年10月26日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

誰しも2つの“価格”しか認識していない

 しかし、どのレイヤーにいる消費者も「自分にとって正当化できる価格」と「自分には正当化できないバカげた価格」の2つしか認識していません。

 例えば(3)の「5万円程度の洋服やかばんはよく買っているが、30万円のコートは簡単には買えない」というレベルの人は次のように考えます。

 「この5万円のかばんは作りもいいし、皮も上質。使い勝手もいいし、それだけの価値はある。一生モノだから安物買いの銭失いになるよりはよっぽどお得だわ。

 でも、こっちの30万円のコートは、あきらかにブランドマークの値段よね。実際それだけの価値があるとは思えない。はやりすたりがあるし、汚れてしまうかもしれない。こんな値段のものを買うのはバカげているわ」

 この人にとって、30万円のコートがバカげた値段に思える本当の理由は、「それが自分には簡単に手に入らないものだから」なのですが、人はそれを「バカげた価格」と呼ぶことで自分がそれを買わないことを正当化します。「私の経済力では買えない」のではなく、「賢い消費者の私は、あんなバカげた値段のものは買わない」と理解しようとするのです。

 そして(4)や(5)の人も、(1)や(2)の人も同じように思っています。“客観的な妥当な値段”なんてものは存在しないのです。

 食べ物でも同じですよね。「1人10万円のコース料理なんてバカげている!」と思う人でも、「やっぱりお値段だけのことはある」と言って1万円のコースを食べにいったりします。

 でも、毎日のランチが500円以下という人からすれば、「1万円の食事なんて無駄遣いの骨頂」となります。一方、「やっぱり10万円くらい出すとまともなモノが食べられるよね。素材もいいし、シェフも一流だし、価値があるよね」と言う人もいます。

 ここでも、“絶対的に妥当な値段の水準”なんてないのです。誰もが「自分がお金を出しているものは、質がいいからそれだけの値段を払っている。妥当な値段なのだ」と考え、自分がお金を出さない一段上の値段のものに関しては「あんなバカ高い額を払って食事をするなんてバカみたいだ」と思うわけです。

 なぜこんなことが起こるのかといえば、市場が分断されているために、消費者には自分が手の届くレベルと、その一段上しか見えていないためです。市場の分断により、消費者は“自分がバカげていると思う値段のもの”を日常的に買う人に会わないし、“自分がお得だと感じているもの”を「バカげた値段」と言い切る人とも会いません。

 市場を分断するための方法の1つが“情報の遮断”です。超高級店は“関係のない層の人の目に付きやすい場所”に店を出すことを慎重に避けているし、広告も“誰でも見られる”テレビや新聞には出しません。

 高級ホテルのインハウスマガジンへの広告や、ハイクラスのクレジットカードホルダー、特殊な会員制クラブメンバーへのDMしか出さなければ、違う層の人に広告さえ見つからずにすみます。また、店舗の入り口を重厚感と威圧感のある作りにし、“間違った人”が入ってこないように工夫したりもします。

 こうして消費者は、まるで世の中には「自分が考える妥当な値段のもの」と「バカげた値段のもの」しか存在しないかのように感じ、楽しくお買い物できるというわけです。

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