弘兼憲史氏&青年漫画誌編集長が語る、漫画編集者の仕事とは劇的3時間SHOW(1/5 ページ)

» 2009年10月21日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

 島耕作シリーズなどで知られる漫画家の弘兼憲史氏(62)は10月10日、JAPAN国際コンテンツフェスティバルのイベント「劇的3時間SHOW」に登場、『モーニング』(講談社)の古川公平編集長(51)、『ビッグコミックオリジナル』(小学館)の吉野彰浩編集長(49)とともに漫画編集者の仕事やエピソードなどについて語りあった。

 →『黄昏流星群』はサッチーの写真集を参考に――『島耕作』の弘兼憲史氏が語る

『モーニング』の古川公平編集長(左)、弘兼憲史氏(中央)、『ビッグコミックオリジナル』の吉野彰浩編集長(右)

編集者の仕事とは

弘兼 まず、編集者はどういう仕事をしているのか。漫画家は漫画を1人で考えて、1人で描いて出版社に持っていって「印刷してくれ」と言えば、編集者なしでやれるのですが、実際週刊誌で仕事をする場合は1人では絶対にできません。

 漫画の編集者は、基本的には出版社に属している社員です。講談社にも小学館にも、経理や営業、広告、総務といった部署があるのですが、その中の1つに編集という部署があります。その編集部がモノを作る現場で、漫画に限らず、小説の編集者も、雑誌の編集者も所属しています。

 漫画の編集者は作家と二人三脚でアイデアを練ります。場合によっては、ストーリーを作ったりもする。浦沢直樹さんの『20世紀少年』は長崎尚志さんという編集者と一緒に作っていたのですが、彼は元々小学館の社員でした。長崎さんは僕の担当をしてくれたこともあって、非常にマニアックな男でしたが、なかなかいいことを考えていました。小学館を辞めてからはフリーの編集者になって、『モーニング』で2本(『BILLY BAT』『ディアスポリス 異邦警察』)原作をしています。

 講談社でも『金田一少年の事件簿』を担当していた樹林伸さんという編集者がフリーになって、今、『神の雫』の原作をしています。出版社の編集者はこのように作家と一緒にアイデアを練って、時には独立して大もうけする人も出てきます。

 編集者は作家のモチベーションを高める、やる気を起こさせる存在であり、作家に締め切りを守らせる役割もあります。また、「ニューヨークに行って誰々と会いたい」と言うと、必要な取材の手はずを飛行機のチケットから全部整えてくれたりもする。そして、「集団的自衛権って何だ?」と聞くと関連する本を買ってきてくれたり、レポート用紙にまとめてきてくれたりもする。あと事務的なことですが、描いた漫画の文字に間違いがないか、言葉の使い方に誤りはないかという校正をして製版所に渡すという仕事、そして新人発掘という仕事もあります。

古川 一番僕たちが大事にしているのは「最初に読む読者である」ということです。僕たちの後ろに何万人という読者がいるので、「最初に見た時にどう思うか」という読者としての感想を言えるかどうかが一番大事だと思います。

弘兼 僕が新人の時は「とにかく最初に見せる編集者をうならせよう、感動させよう」ということだけしか考えていませんでした。「一般の読者にどうしたら受けるか」みたいなことはまったく考えていなくて、「自分の前にいる編集者を納得させる漫画を描こう」とだけ思っていたので、そういう意味では大切ですね。

古川 例えばちばてつや先生(代表作『あしたのジョー』『あした天気になあれ』)は、僕たちがネーム※を読んでいる時、その表情をずっと見ているんですね。「どこで笑ったか、どこで考えているかということを漫画家がチェックできるようにすることが編集者の一番大事な役割だ」とちば先生はいつも話されます。

※ネーム……漫画を描く際に、どのようなコマ割りにして、どのようなキャラクターを出して、どのようなセリフをどのキャラクターに喋らせるかといったことを簡単に描いたもの。

弘兼 ちば先生に気を遣って、面白くないのに笑ったりはしませんでしたか。

古川 僕が新人のころに担当していたのですが、入って半年ぐらいで「面白くないです」とか絶対言えませんよね。先生の漫画を見て育ってきたんですから。僕がその人にアイデアで勝つとか、話作りで勝つなんてありえないわけです。だから、その緊張感で僕は担当を始める前と比べて5キロぐらいやせました。

 感想をどう言うかということですが、一番簡単なのは「面白いです」と言ってそのままもらってくることです。要するに何も言わないのが一番簡単なのですが、「読者がお前の後ろにいるんだよ」と初めに言われているので、何かを言わないといけない。「何を言うのか考えないといけない」と思うだけで、胃が痛くなりました。

弘兼 吉野さんは編集の仕事について何か補足はありますか?

吉野 先輩が興してくれた著名な作品を引き受けて維持発展していくということは当然なのですが、編集者の夢は新しい連載を興して成功させるということですね。やはり編集者として生まれたからには、「世の中の人々を笑わせてやろう、感動させてやろう」という野望を持って、自分で作家さんをくどいて仕事をするのが一番の夢です。

弘兼 そういえば、『黄昏流星群』の立ち上げはあなたとやりましたよね。

吉野 そうです。僕が『人間交差点』の新担当になって、「10年くらい続いた神様のような作品を担当できてうれしいな」と思っていたら、2カ月ぐらい経っていきなり弘兼さんに「やめるぞ」と言われたのです。当時は携帯電話がなかったので、弘兼さんのところの電話をお借りして編集部に連絡したら編集長が出て、「お前、絶対うんと言うんじゃないぞ」と言われました(笑)。そういうことがあったので、(『人間交差点』の次の作品として)僕は幸運にも弘兼先生の新しい作品を興すことができました。

弘兼 『人間交差点』は非常に長い連載だったのですが、僕はその時1つの連載というものは10年以上続けたらマンネリが起きると思っていて、『人間交差点』も10年になったので、「もうやめよう」と決めていたんです。『ハロー張りネズミ』も10年でやめたし、実は『課長島耕作』も10年でやめたんです。

 『課長島耕作』をやめて、(同じ講談社の)『ミスターマガジン』で『加治隆介の議』の連載を始めたのですが廃刊になってしまったので、「もう1回、(島耕作を)やってくれ」と依頼されたのです。

吉野 (『人間交差点』が終わることになって)重役から、「お前、今度どういう連載を始めるんだ?」と責められました。弘兼先生に聞いたところ、「(次回作は)若い女性の柔肌の上に、しわくちゃのおじいさんの手が伸びていくような題材なんだよ」としかおっしゃってくれなかったので会社にそう報告すると、「お前、それどういう連載なんだ」と突っ込まれた記憶があります。

弘兼 伝え方を間違っています。それは渡辺淳一先生の世界ですよね(笑)。渡辺先生の場合は自分はおじいさんだけど相手は若い女性です。僕の場合は女性も年をとっているので。

 実はもともと、講談社に「中高年のラブストーリーをやりたい」と言ったら断られたんです。(小学館は)2番手だったんですね。逆に、小学館には「政治の漫画をやりたいんだ」と言ったら断られて、(講談社で)『加治隆介の議』になったので、おあいこです。

 (『人間交差点』連載終了後には)ご苦労さん旅行のようなものでスイスのマッターホルンに行きました。僕らは行ったらタダではおかないので、バンバン写真を撮って、そこを舞台に『黄昏流星群』の第1話を描きました。あの時はマッターホルンの先が見えるまで、曇り空の中、レストランで待ち続けました。その間に「こういうことをしてはどうだ」といったアイデアを出し合いましたね。

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