こうした流れの中で、官僚の側には言い訳する材料ができたことになる。つまり方針を転換しても「政権が代わって大臣の命令だから仕方がない」と説明できる。官僚にも当然優秀な人間は多いのだから、これまでの政策が正しくなかった(少なくとも結果が伴わなければ政策の意味がない)ことは百も承知している人もたくさんいるはずだ。食糧自給率が 40%というのは農政の失敗だし、地域医療が崩壊しつつあるのは医療行政の失敗だ。世界的に見て日本の子どもの成績が下がっているのは文部行政の失敗である。
こうした政策を官僚依存あるいは官僚主導で作っている限り、日本という国の政治的な成熟は望めない。なぜなら官僚は選挙で選ばれるわけではないから、国民は官僚が作る政策について「評論家的」に文句を言うだけだからである。だが「政治主導」ということになれば話は違ってくる。政策の主体は議員であり、議員は有権者の代表、つまり選挙で選ぶことで政策が変わってくるからである。その意味で国民は政策に関して評論家ではいられない。これを繰り返すことによって、有権者が政治的に成熟する可能性が生まれる(成熟というのは簡単に言ってしまえば、税金は払いたくないが国や自治体の便益は欲しいというような非現実的な虫のいい議論がなくなるということだ)。
民主党政権でこうした方向に一歩踏み出したように見えるが、それを続けることができるかどうか、それはもう少し様子を見なければ分からない。
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