コラム
» 2009年09月30日 08時00分 UPDATE

「自分の登るべき山」はどこにある!?――キャリア形成の考え方 (1/2)

キャリア形成には「意図的に作りにいくキャリア」と「結果的にできてしまうキャリア」の2種類がある、と主張する筆者。より幸せなキャリアを作っていくためにはどうすればいいのだろうか。

[村山昇,INSIGHT NOW!]
INSIGHT NOW!

著者プロフィール:村山昇(むらやま・のぼる)

キャリア・ポートレート コンサルティング代表。企業・団体の従業員・職員を対象に「プロフェッショナルシップ研修」(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)を行なう。「キャリアの自画像(ポートレート)」を描くマネジメントツールや「レゴブロック」を用いたゲーム研修、就労観の傾向性診断「キャリアMQ」をコア商品とする。プロ論・キャリア論を教えるのではなく、「働くこと・仕事の本質」を理解させ、腹底にジーンと効くプログラムを志向している。


 私は時々気分転換で地元の公立図書館の学習室に行って仕事をするときがあります。社会人学習室は簡単なブース形式になっていて机や椅子の使い心地はいいし、空調もほどよいので平日でも利用者が多い。

 そんな中の常連に、いかにも「俺は年季の入った司法試験浪人だ!」といった風体の男性がいます。机の上には六法全書やら専門書やら参考書やらを何冊も積み上げて、いつも大学ノートに何かを書き込んでいる(居眠りも多いが)。いつぞやははち巻きをして勉強に臨んでいました。歳格好からすると、すでに5浪や6浪くらいはしていそうな貫禄(?)です。

 私が「浪人」で思い出すのは、予備校時代の「東大浪人」でしょうか。私も1年間予備校に通いましたが、そこには「東大以外は大学にあらず」として2浪3浪中の先輩受験生が多くいました。私はその後、運よく慶応大学に入りましたが、驚いたのは、一応、慶応大学に入学しておき、籍だけ置いて、もう1年東大受験に専念する幽霊学生がクラスに何人もいたことです。

 また、世の中には「ミュージシャンを目指しています」とか「人気芸人になりたいんです」ということで、定職に就かずアルバイトで食いつないでそのための活動をやり続ける人たちがたくさんいます。

 「司法試験合格」にしても「東大合格」にしても「ミュージシャンや人気芸人になる」にしても、(各自の抱く内面の動機=“何のために”という自問はともかくとして)これらは1つの夢であり、目指すべき1つの目標です。

 私はそうした夢や目標をもつことは極めて大事だと思っていますし(研修でもその重要性を言っています)、初志貫徹のために挑戦を続ける姿には敬意を表したいです。しかし、同時にそうした人たちに対し、以下に述べることも頭の中に併存させてほしいと願うのです。

 なぜなら上記のような人たちの中で、ある割合の人たちは夢を言いわけにして本当の実り多き人生を逃していたり、その目標に向かってただチャレンジしている風だけのことに満足してしまっているかもしれないからです。

キャリア形成には2種類ある

 では、本論に入ります。

 まず指摘したいことは、キャリア形成には「意図的に作りにいくキャリア」と「結果的にできてしまうキャリア」の2種類があることです。

 前者は、「医者になろう」とか「宇宙飛行士になろう」とか、明確な目標を定めて、意図的に計画してステップを踏んでついにそれを獲得していくものです。

 後者は、医者になろうと思って医学の勉強をしていたが、薬学の研究のほうに興味がわいて、結果的に新薬の研究者になったとか、医者になったものの、文芸の才能に目覚めて小説家になってしまったとか(例えば、北杜夫氏や渡辺淳一氏、マイケル・クライトン氏など)、必ずしも計画的ではなかったが、当初とは違う選択が途中でひらめいて、もがいて奮闘して、振り返ってみたらその道で食っていた、そのようなタイプのものです。

 もちろんこの2つのタイプは、シロかクロかというものではなく、誰しもこの両者の混合でキャリアを作っていきます。ですから、状況に合わせてこの両者の取捨選択や、バランスをうまくとることが肝要なのです。

 「意図的に作りにいく」キャリアに固執した場合の欠点として、「俺はこれになるしかない!」といった絶対無二の目標を立ててしまうがゆえに、ほかの選択肢が目に入らなくなり、自分の才能を限定してしまう恐れがある、または、いったんほかの道に進んで、そこから迂回して当初の目標にたどり着くという可能性をなくしてしまう、などが考えられます。下図は、そのことを表現したものです。

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 キャリア形成の途上、私たちの目前には、月々日々、年々、大小さまざまな分岐点が現れてきて、その都度、複数の選択肢に直面します。そして、あるものを選択して進んでいく。あるいは、意思や努力に反してある方向に転がってしまう、そんなことを示した図です。

 例えば、いま自分がA点にいて、D点という山の頂を「意図的につくりにいくキャリア」として目指しているとしましょう。B点までは何とかうまく来て、次にC点に上ってゴールに到達したかったのですが、そこで失敗をしてしまい、不本意ながらX点に落ちてしまいました。

 ここでモヤモヤ、ウジウジとD点という夢が捨てられなくてモラトリアム状態、夢を言いわけ状態にして、時間を浪費してしまうことは上に述べたとおり「意図的に作りにいくキャリア」の欠点になります。

 しかし、そこで頭の切り替えをして、自分の能力や価値観の再編成を行い、他の活路を見出そうともがくとどうなるか。

 ――その結果、Y点を経由して、Z点という当初とは違う山の頂に上り詰めることも可能になるのです(そしてZ点を経由して尾根伝いにD点に行けるチャンスも芽生えるかもしれません)。

 その時あなたは、遠くにD山を眺めながらこう思うでしょう。「Zという山もまんざらではない。むしろこの山こそ自分が求めていた山だ」「C点を目指したときの失敗は自分には十分に意味があったのだ」「あの出来事は起こるべくして起こったに違いない」……。この想いに立てたときこそ、まさにあなたが偶発を必然に転換し、「結果的にできてしまうキャリア」を最大限のものにした瞬間です。

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