日販とトーハン、2大取次が寡占する日本の出版流通事情出版&新聞ビジネスの明日を考える(2/4 ページ)

» 2009年08月26日 07時00分 公開
[長浜淳之介,Business Media 誠]

戦中の国策独占会社、日配を起源とする

 2大取次のルーツは1941年、戦時統制の一環として作られた日本出版配給株式会社(日配)にある。太平洋戦争に突入していく当時の政府は、出版流通統制のために、240社ほどあった取次を解散させ、日配1社に集約させた。

 戦後GHQは財閥解体を目的とする、過度経済力集中排除法を施行。日配も閉鎖機関令(1947年3月)によって閉鎖機関に指定され、清算処理を命じられて、活動停止を余儀なくされた。しかし、日配がなくなれば出版物が流通しない。急遽(きゅうきょ)、日販やトーハン、大阪屋などが誕生した。

 日配は書籍と雑誌の両方を扱う巨大な「総合取次」であった。このような出版取次業態は世界にない。総合取次の起源は関東大震災後の大正末期に、当時の雑誌4大取次の東京堂、北隆館、東海堂、大東館が、書籍も積極的に扱い出したことにある。その頃すでに流通寡占は始まっていたのである。

 「欧州も米国も、書籍と雑誌は別の業界。取次は別々であり、流通チャネルも異なっています。海外の書店は、書籍を売る専門店です。雑誌は主にニューズスタンド、キヨスク、スーパー、コンビニ、通信販売で売っているのです。ところが日本は取次も書店も、雑誌と書籍の両方を扱っています。日本の出版流通は、世界的に見れば奇妙な独特な発展を遂げているのです」と、木下教授は指摘した。

欧米に比肩する書籍流通システムを構築

 「日本の雑誌流通は世界一」という評価がある。大手総合取次は雑誌の流通・販売に力を入れてきたからだ。

 一方、書籍流通は注文品の流通改善がなかなか進まなかった。欧州や米国では情報化の進行を背景にして、1980年代末〜1990年代にかけて大型書籍流通センターが建設され、書籍の注文品流通の合理化・効率化が急速に進んだ。

 一方、日本はそれが大きく遅れた。しかし、2000年代に入ると情報武装型の大型書籍流通センター建設に見られるように、書籍の注文品流通システムが整備されつつあると、木下氏は評価している。世界最大のネット書店・アマゾンの上陸という黒船のインパクトがあったにせよ、取次が書籍の注文品流通システム作りに巨額の投資をし、真剣に流通改善に取り組み始めたのは大きな変化だ。トーハンの桶川SCMセンター、日販の王子流通センター、大阪屋の茨木と新座の流通センターなどがそれである。

トーハンの桶川SCMセンター(出典:トーハン)

日販はTSUTAYA、トーハンはGEOと提携

 出版科学研究所の調べによると、1998年に1兆5315億円あった雑誌総販売金額は、2008年には1兆1299億円にまで落ち込んでいる。つまり雑誌の市場規模は最近約10年で25%近くも減少しているのだ。

 書籍も同様に1998年の1兆100億円から、2008年には8878億円に落ち込んでいるものの、12%程度の減少で、雑誌に比べれば減少幅は小さいと言える。

 出版業界は高度成長期、不況知らずの2ケタ成長が続いていた。1976年に雑誌の売り上げが書籍を抜いて以後、「雑高書低」が基調であった。しかしバブル崩壊以降、出版業界は長期的な売上不振に陥っている。

 このような状況下でさまざまな変化が見られる。日販は「TSUTAYA」のカルチュア・コンビニエンス・クラブ、トーハンは「GEO」のゲオ、大阪屋と日販はアマゾンと関係を結んでいる。アマゾンは現在、日販との関係を深める傾向にあるのも興味深い。

 「TSUTAYA」「GEO」のような総合ソフトショップ、アマゾンのようなネット通販といった、新しい小売業態と取次とのタッグが出版再編の軸になる可能性もある。

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