QSCとはQuality(品質)、Service(接客サービス)、Cleanliness(店内外の掃除)を指す。これらの徹底が繁盛店作りの第1歩であることは今や常識だ。しかし飲食業界ではあまり深く考えられていないのではないだろうか。河原さんが大切にしているサービスの1つに「お客様を一個人として尊重する」というのがある。
「一般に飲食店では、お客とか顧客という名前で十把一絡げにしがちですが、1人1人の方にはちゃんと名前があり、その人ならではの歴史があり、家族や友人がいて、それぞれに喜怒哀楽の感情があるんです。だからこそ来店してくださったお客様の顔を覚え、さらには嗜好(しこう)を覚えるという努力を通じて、一個人として尊重して差し上げることが何よりも大切なんです」
筆者はこの取材時に、その思想の片鱗を垣間見たように感じた。というのも河原さんは2時間のインタビューを通じて、初対面の筆者をいくどとなく名前で呼んでくれた。
「僕は、次から次へと現れる誰だかよく分からない取材陣の1人としてあなたに会っているのではない。他の誰でもない嶋田淑之という1人の人間と会っているのだ」
これは経営者へのインタビューではまれな体験といってよい。河原さんが世の中に向けて発する心構えや教訓はまさにご自身が長い間、日々、励行していることそのものなのであろう。それだけに、河原さんがこれからのラーメン界を担うべき若い人たちに対して求めることも明確である。
「社員としての採用基準としては『豚がら・鶏がら・人がら』と言いますが(笑)、素直で明るい優しい人で、飲食や人が好きという人が望ましい」
ラーメン作りを天職だと悟った人でなくても良いのだろうか?
「それは入社時点では求めません。他ならぬ僕自身が、『一風堂』をオープンしてから12年後までラーメン作りを天職だと自覚できなかったくらいですから」
「その代わり……」と、河原さんは自らの仕事観を述べ始めた。
「仕事には3種類あると思うんです。生活の糧を得るための仕事、自己実現を図るための仕事、そして社会貢献としての仕事です。幸せの善循環で世の中を明るく元気にしていくのは、まさしく社会貢献としての仕事になるわけですが、そこまでいかなくても入社の時点で少なくとも、自己実現のためにラーメンをやりたいというくらいの気持ちは欲しい」
若い人たちはチャレンジングである反面、未熟な部分も多いと思うが、彼らの失敗に対してはどのような考え方をしているのだろうか? 信賞必罰・失敗の許容・失敗の奨励のいずれだろうか?
「失敗は奨励しています。失敗してこそ、そこに成長があるわけですから。もちろん、その前提には確固たる情熱が必要です」
河原さんが常々口にしている言葉に「見切り千両」がある。短期的な利害得失だけで物事を判断してはいけない。あくまでも長期的な視点に立って、判断を下すべきだという意味である。河原さんの若い人たちに対する姿勢は、まさに見切り千両である。強い情熱をもって真剣かつ誠実に取り組むのなら、短期的には失敗しようが、恐れることなく果敢にチャレンジし成長していってほしいという姿勢だ。
この考え方があったからこそ、当初は海のものとも山のものとも分からず、むしろ不安要素の方が多かった新横浜ラーメン博物館への出店話に際しても、設立準備室の若者たちの尋常でない熱意に打たれ、出店リスクをあえて冒す決意をしたのである。そしてそれが結果的に、今日の一風堂を構築する礎になっているのだろう。(続く)
→変わらないためには、何を変え、何を守ってきたのか? 「博多 一風堂」河原成美物語(中編)
『2018年同じ笑顔で』(河原成美著、力の源カンパニー)
『一風堂の秘密』(河原成美著 経済界、2001年)
『風のつぶやき』(河原成美著、力の源カンパニー)
『一風堂 五輪の書』(河原成美著、致知出版社)
『一風堂心得帖』(河原成美著、力の源カンパニー)
『若き日の罪と起死回生の「麺ロード」』(『AERA』、2008年7月28日号)
1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」、「43の図表でわかる戦略経営」、「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。
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