ドイツ人は戦争という過去と、どのように向き合っているのか?松田雅央の時事日想(1/3 ページ)

» 2009年08月11日 08時00分 公開
[松田雅央,Business Media 誠]

松田雅央(まつだまさひろ):ドイツ・カールスルーエ市在住ジャーナリスト。東京都立大学工学研究科大学院修了後、1995年渡独。ドイツ及び欧州の環境活動やまちづくりをテーマに、執筆、講演、研究調査、視察コーディネートを行う。記事連載「EUレポート(日本経済研究所/月報)」、「環境・エネルギー先端レポート(ドイチェ・アセット・マネジメント株式会社/月次ニュースレター)」、著書に「環境先進国ドイツの今」、「ドイツ・人が主役のまちづくり」など。ドイツ・ジャーナリスト協会(DJV)会員。公式サイト:「ドイツ環境情報のページ(http://www.umwelt.jp/)


 日本と同様、ドイツは第二次世界大戦の敗者として終戦を迎えた。戦後、明らかとなったナチスの残虐行為は世界を震撼(しんかん)させ、悪の象徴として映画やドラマ、小説などあらゆる場面に登場する。

 一方、ドイツは自らの戦争行為を率直に見つめ、被害者の戦後補償に取り組むだけでなく忌まわしき歴史を繰り返さぬよう平和教育に力を注いでいる。そういう教育を受けたドイツの若者は「自分の国に誇りを持てるか」という国際調査で「持てる」と答える割合がたいへん高い。自らの歴史を見直すことは決して過去の否定や自虐行為ではなく、新たな未来を切り開くための礎なのだ。

 という話は多少ともドイツに興味のある方ならば聞いたことがあると思う。これは紛れもない事実ではあるが、この種のステレオタイプなドイツ像と現実はどこかずれている。ドイツ人が戦争責任をどう捉えているのか、その実像はもっと深く切り込まなければ見えてこない。ドイツに暮らす筆者の限られた経験からではあるが、ドイツ人が第二次世界大戦という過去とどう向き合っているかをレポートする。なお、多分に筆者の主観的な意見が含まれることをあらかじめご承知願いたい。

ザクセンハウゼン強制収容所記念館

 初期の強制収容所は主に反体制派を収容するために造られ、ミュンヘン郊外のダッハウ収容所が第1号である。その後、ユダヤ人、ジプシー、同性愛者などナチスにとって「社会に不適合」な人間も収容されるようになり、戦況の悪化とともに収容者の待遇(食料の量、収容密度など)は悪化の一途をたどった。1945年の敗戦までに20の強制収容所において処刑、拷問、病気、飢えにより600万人を超える人々が命を落とした。

 1933年にベルリン郊外のオラニエンブルクに建設されたザクセンハウゼン強制収容所もその1つで、現在は当時の資料を展示する記念館として一般公開されている。収容所の鉄の扉にあるのは「労働は自由をもたらす(Arbeit macht Frei)」の文字。つまり「真面目に働けば自由が待っている」という収容者への欺瞞(ぎまん)に満ちたメッセージだ。もし誰かが収容者のために相当額を支払えば解放され自由の国へ渡ることもできそうだが、ほとんどの収容者はそんなコネとは無縁で開放の夢を抱くことさえ許されなかった。

ザクセンハウゼン強制収容所の鉄の扉にある偽りのスローガン「労働は自由をもたらす」
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