トイレとウォシュレットはどのように変化してきたのか?嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/4 ページ)

» 2009年08月01日 00時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

ハイエンド層から一般の生活者層まで

 しかし日本国内では市場が未発達であるため、同社では磁器製食器も製造・販売し、衛生陶器に関しては、主としてハイエンド層への浸透を図っていったようだ。太平洋戦争の敗戦後、日本農業にも化学肥料の波が押し寄せるとともに、進駐軍によってもたらされたサラダなどの欧米型食習慣(生野菜摂取)が寄生虫の体内侵入リスクを高めた。そして日本でもようやく糞尿の肥料化というシステムが下火に向かい、下水道の全国的な整備、トイレの水洗化に本腰を入れるようになった。

 そして50年かけて、日本の下水道普及率は60%、水洗トイレの住宅普及率は80%へと上昇していくのである。その間の東洋陶器は、日本経済の高度成長と全国規模のトイレ水洗化の波に乗って、ハイエンド層だけに留まらず一般の生活者層にまで水洗トイレを普及させていった。しかしそれにもまして、敗戦後の最も顕著な特徴は進駐軍によって、いわゆる洋式便器が日本社会にもたらされ普及していったことであろう。

 当時の筆者の転居先も進駐軍将校官舎跡だったことから、1960年代前半には洋式便器の生活が始まり、不慣れゆえの数々の珍騒動を巻き起こしたものである。

 1964年(東京オリンピック開催年)の東洋陶器は、アメリカン・ビデ社製の「ウォッシュエアシート」、伊奈製陶(現INAX)は、スイスのクロス・オ・マット社製洗浄機器一体型便器「クロス・オ・マット・スタンダード」をそれぞれ輸入販売し、洋式便器からさらに一歩踏み込んだ、日本におけるシャワー付き便器の歴史がここに始まる。

ウォシュレットの誕生

ウォシュレット初代機

 1977年には、ついに洋式便器の販売が和式の販売数を超え、日本のトイレ事情は新しい段階に入る。

 1980年、東陶機器(1970年に東洋陶器から東陶機器に商号変更)はウォシュレットを発売。「お尻だって洗ってほしい」というテレビCMは評判を呼び、商品自体もその後のバブル景気の後押しもあって、大ヒットとなった。このウォシュレットを評して、中高年男性の痔主の方々にとっての福音であるかのような言説も多かったが、肛門科に入院する人には当時から若い女性が多かったことは周知の事実。なので性別・世代を問わないニーズが、そこに存在していたのである。

 続いて世に出たのが、暖房便座付きのウォシュレット。寒冷地はもとより冬のトイレは、脳溢血などを引き起こすリスクがあったので、この新機能によって、トイレがもたらす健康面へのマイナスインパクトをかなり低減することになった。

 「ウォシュレットの登場が歴史的にどんな意味を持つかご存知ですか?」そう言って林さんは微笑んだ。

 「トイレに初めてコンセントが入ったということなんですよ」

 換言すれば、それまで陶磁器製品の1つという位置付けだった便器が、エレクトロニクス関連商品という位置付けへとシフトした画期的な瞬間だったということだ。

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