「働くことしか才能がない」……。“共感なき政治家”は去るのみ藤田正美の時事日想(2/2 ページ)

» 2009年07月27日 08時03分 公開
[藤田正美,Business Media 誠]
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政治家に要求される共感

 共感とは英語でempathy。相手を思いやるsympathyとは違って、相手の立場で物事を考えてみる力だ。あの発言を高齢者が聞いたら、気分を悪くする人もいるかもしれないとか、働けない高齢者は「死ね」と言われているように思うかもしれないとか、あるいはこれから「遊び」を覚えようとしている高齢者が麻生さんの発言を「余計なお世話」と怒るかもしれないとか、そういった他の人の気持ちを想像する力である。

 なぜ政治家にこの共感が要求されるのか。それは明白である。政治とは、強者のためにやるものではなく、社会的弱者を守ることで社会をうまく機能させることが使命であるからだ。社会的弱者を放置すれば、社会がうまく回らないことは産業革命の時代から労働争議が頻発した時代を経て、人類が学んできたことである。

 中国で鉄鋼グループの経営者が、大量の労働者をレイオフするといった発言をして殴り殺されるという事件が起きた。現時点での報道を見る限り、この経営者はまるで19世紀末の経営者のような発言をしているし、年俸は300万元(約4200万円)も取っていた(一方、引退した労働者が受け取る年金は月200元〈約2800円〉だったそうだ)。もちろん殺すことを正当化することはできないにしても、このような社会システムの在り方が決して長続きしないことは明白である。新彊ウィグル自治区での暴動も根本に経済格差の問題があるとされている。

 日本が、いま経済格差が拡大しており、そして社会的弱者が生きていくことが大変になっているとすれば、そうした人々に対する共感を欠いては、次の政権を担う資格はない。民主党の鳩山代表にその共感能力が本当にあるかないかはまだよく分からないが、もしなければ日本の近未来は考えたくもないほど暗くなるかもしれない。

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