茅ヶ崎で名を轟かせた“ワル”だった……日本にマラサダを持ち込んだ男(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(5/6 ページ)

» 2009年07月18日 07時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

戦略の基本は「移動販売」

 2005年8月、日本で初めてのマラサダ専門店をスタートした。その時の基本戦略は、どのように?

 「とにかくリスクを少なくする必要があったので、所有していたキャンピングカーを改造して移動販売で売ろうと考えました。私の住む湘南エリアは、日本のハワイフリークの大半が居住していると言われていますし、当然、ハワイ関連イベントも多い。とにかく、まずは繁盛することより潰れないことを目指そうと考えたんです。具体的には、ハワイ好きのサーファーやフラ愛好家をピンポイントで狙いました」

改造する前のキャンピングカー(左)、改良後、このクルマで移動販売をしている(右)

 移動販売を実施するに当たって、場所の手配などはどのように?

 「友人のバイク屋が大きなホームセンターの正面で店をやっていて、場所を貸してくれました。最初は1日30個(売上3000円)くらいの日が多かったですね。でも、ある雑誌に『日本でもマラサダが買えるようになった』と掲載されるようになって、『ウチの店の前でもやってよ』といった話が入ってくるようになったんです」

場所を貸す側のメリットとは

 場所を貸す側の具体的なメリットは何なのだろうか?

 「ウチのマラサダは決して作り置きをせず、すべて注文が入ってから作るんです。そのため待っている間に、お客さんたちは後ろの店に入って行くんですね。それで、そのお店とウチとはWIN-WINの関係を実現しやすいんです」

 こうして茅ヶ崎をベースに、湘南エリアで評判になり始めたマラサダワゴンに目をつけたのが百貨店のバイヤーたちだ。彼らは、百貨店で定期的に開催している物産展などで目玉になるような、お店を常に探索しているのである。

 「ウチは手際が悪いので(笑)、どうしても行列ができてしまう。こうした光景は地方の百貨店では珍しいようで、地元のテレビ局の取材が来て、催事に注目が集まりました。そしてお客さんが集まるという、好循環を生みました」

ステーキロール

これからも先頭を走る

 こうして、移動販売と百貨店の催事を通じて評価を高めた神谷さんに新たなチャンスがめぐってくる。それは2008年にオープンした横浜ベイクォーターでの「カフェ フラハワイ」の出店だ。

 その後の繁盛ぶりについては、前編でご紹介した通りである。今や、すっかり軌道に乗った感のある神谷さんのビジネスであるが、マラサダを柱にしたビジネスの将来については、どのような展望を持っているのだろうか?

 「映画『ホノカアボーイ』の影響で、ちょっとしたマラサダブームが起きていますが、こうしたバブルは必ずはじけます。でもバブルがはじけたとしても、私自身は日本のマラサダビジネスに残り、その先頭を走り続けたいと思っています」

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.