第10鉄 7月17日運行開始! 飛鳥山に登場した“新しい乗り物”とは杉山淳一の +R Style(2/3 ページ)

» 2009年07月11日 04時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

 王子駅から飛鳥山公園へ行く場合、今まではかなり急な階段を上るか、外周の明治通りの坂を歩いて都電の飛鳥山電停側へ遠回りしていた。嘉穂モノレールができれば、お年寄りやベビーカーの親子も気軽に公園を訪れることができるようになる。北区役所によると、正式な運行開始日は7月17日とのことだ。今回は都電荒川線を見ながら遠回りした。もっとも、こちらも鉄道好きには楽しい眺めだ。都電荒川線の電車がクルマと同じ車線に並ぶ。ひとつひとつ、微妙に違う形の電車が通る。そういえばレトロ仕様の電車やピンク色の新車もデビューしたはず。ゆっくり道路を歩きながら待ったのだが、今回は見られなかった。

都電を眺めつつ公園へ

飛鳥山公園でD51に会える

D51形蒸気機関車は昭和18年製。引退は昭和47年。走行距離194万キロは、月と地球の2.5往復に相当するそうだ

 飛鳥山公園は涼しい。樹木が茂り、道路脇よりも気温が3度くらい低い気がする。中央にある児童用広場には、かつて都電荒川線を走った6000形電車と、デゴイチの名で親しまれたD51蒸気機関車が保存されている。どちらも公園の保存車両としては手厚く整備されており、外観は磨かれてピカピカだ。都電は客室に入れるし、D51も運転台に入れる。廃車車両としては、もっとも幸せな余生である。木製のベンチシートでくつろいでいると、時折涼しい風が通っていく。誰もいなかったので寝そべってみたら、あまりにも居心地が良くて眠りそうになった。

 飛鳥山公園は隠れた鉄道スポットだ。保存車両だけではなく、JRの線路側を見れば、高いところから東北本線、京浜東北線の列車たちを見下ろせる。正面には新幹線の高架線があって、東北新幹線、上越新幹線、長野新幹線の列車たちが頻繁に往復する。反対側は都電荒川線だ。毎日、こんな公園で散歩ができるなんて、このあたりに住んでいる人は幸せだなあ。

都電6000形は昭和24年製。昭和53年まで現役だった(左)。木製のベンチシートは、硬いが冷たくて心地よい(右)

 飛鳥山公園の敷地には3つの博物館が建っている。北区の郷土と歴史を伝える「飛鳥山博物館」、製紙業を紹介する「紙の博物館」、そして「渋沢資料館」だ。渋沢資料館は飛鳥山公園に住居を構えた渋沢栄一に関する資料を展示している。渋沢栄一といえば鉄道ファンにもなじみの深い人物だ。徳川慶喜に仕えた幕臣で、パリに留学中に大政奉還となり、帰国後は明治政府で大蔵官僚を務めた。その後は起業家として活躍。田園調布の宅地開発を企画して、後に東急電鉄へと発展する目黒蒲田電鉄を立ち上げた。ほかに秩父鉄道や京阪電鉄の創立にも関わっている。「日本の電鉄の神」とも言える人物だが、意外にも史料館では鉄道に関する資料は少ない。渋沢は他にも銀行、保険、ガスなど、近代日本が必要としたあらゆる事業を手がけていた。彼にとって鉄道事業は生涯のほんの一部だった。

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