ガンダムは作品ではなく“コンセプト”――富野由悠季氏、アニメを語る(後編)(3/4 ページ)

» 2009年07月08日 13時22分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

日本のアニメの未来は

――日本のアニメ業界では、韓国や中国に仕事をアウトソースするようになっています。日本のアニメの黄金時代は終わり、未来のアニメは韓国や中国が担い、日本のアニメは衰退するのではないでしょうか?

富野 誠に申し訳ないのですが、アニメをほとんど見ていないので状況がまったく分かりません。おっしゃられているような意味はかすかに分かりはします。創作行為の流れとしては当然、日本は今は衰退期だと思ってはいます。しかし、いつまでもそうであると思っていないという部分もあります。

文化庁メディア芸術プラザ

 この数年、文化庁メディア芸術祭の審査員もやりました。それから大学関係の学生の仕事やなども見せてもらっているので、その今の世代がどのようにアニメに向き合っているかという姿は多少承知しています。

 質問の答えにはならないのですが、今アニメーションという媒体に関しては危険な領域に入っていると思います。どういうことかと言うと、個人ワークの作品が輩出し始めていて、スタジオワークをないがしろにする傾向が今の若い世代に見えているということです。スタジオワーク、本来集団で作るべき映画的な作業というものをないがしろにされている作品が将来的に良い方向に向かうとは思っていません。

 中国と韓国に関してはお国も力を入れているという状況もあって、それなりに作品が出ていることは事実です。新しい環境の中で、新しいジャンルに挑んでいる新しい才能も見ることができるので、日本の現状から見た時に強敵が立ち現れているという感覚はあります。

 ただ、不幸なことが1つあります。技術の問題です。デジタルワーク、つまりCGワークに偏りすぎることによって、昔、映画の世界であったスタジオワークというものが喪失し始めている。そのため、豊かな映像作品の文化を構築するようになるとは必ずしも思えないという部分があります。ハリウッドの大作映画と言われているものがこの数年、年々つまらなくなっているのは便利すぎる映像技術があるからです。

 韓国、中国、香港、台湾のように映像開発の後発国は、いきなりデジタルを手にして映像創作の領域に踏み込んできたわけですから、彼らは今面白くて面白くてしょうがない。しかし、彼らは本来的な意味での映像の機能についての癖を正確に認知しているとは思えない。ただそれに関して言うと、日本もそうですし、ハリウッドの人たちもデジタルの危険性というものをあまり認識していないように見えます。

――「日本アニメの衰退期は長くは続かない」ということですが、これから日本のアニメ業界を盛り上げていくものはどういうところから出てくると見ていますか?

 その質問についても同じ解答しかできません。分かっていれば私がやっていまして、「来年のヒットを全部取るぞ」ということです。

 ただ、文化的な行為ということで言えば、どのように過酷な時代であっても、逆にどんなに繁栄している時代であっても、その時代の人々はその時代に対して同調する、もしくは異議申し立てをするような表現をしたくなる衝動を持っています。そういう意味でも、人間というのは社会的な動物であると思います。

マイケル・ジャクソン氏の『BAD』

 そうすると、この不況からこれから2〜3年少しずつ景気が良くなっていくという時代に刺激された世代、20代後半から30代前半の人々が、「まったく違う形のアートなり芸能のスタイルというものを打ち出すのではないか」と思っています。最近、ニュースになっているマイケル・ジャクソン氏の例を挙げれば分かる通りです。『BAD』以後のことを考えた時、もうそれから20年超えている。(新しいものが)出てこないわけがないんです。その(世代の)人たちの持っているポテンシャルというものが発露されるのがこれから2〜3年、新しい形、違う形での文化論やカルチャー論、アートが現れてくると思っています。

 1分の1のガンダム像を見た時、想像しなかった威力があるということが分かり、ひょっとするとあんなものからでも発信するような何かがあるような気がしています。問題なのは、自分が日本人だから日本人の中からそういうものが出てきてほしいと思うのですが、海外の反応の方がピュアです。この1カ月、悔しいのですがネットをチェックすると、1分の1について海外の方がピュアな反応があるのです。ピュアな感触の方が恐らく次の何かを生むための感覚を醸成し、何かを生み育てるのではないかなという気がしています。「日本人は慣れすぎている」という感じがちょっとします。

――先ほどコンピュータテクノロジーに大きく依存することの危険性に触れましたが、コンピュータテクノロジーに依存することが例えば作品とか作る人たちにどういう悪影響を与えるのか、もう少し詳しく教えてください。また悪影響を与えているとすればどう解決すればいいのでしょうか。

富野 コンピュータ一般というよりも、コンピュータのシステムというものを改めて考えてみると、「コンピュータのシステムとはこういうことではないか」という発想を思いつきました。「よくできた官僚システムじゃないか」ということです。

 どういうことかと言うと、システムが作られた時にはある理念を持って始動したわけですが、よくできたシステムというのはシステム個々に独立し始めるわけです。そのシステムが存続を要求し始めるわけです。すると、そのシステムの中にいる人が意志を発動できなくなってくる、という歴史を実は我々はずっと見てきたのではないか。

 中国では300年王朝が続いた例というのはほとんどありません。システムが永遠に稼働しきれないというものを我々は見てきているはずです。西欧も別の形で実験していて、君主制から帝国主義、そして植民地覇権主義までいった時に何が起こったかというと、システムが存続しきれなくなる。植民地覇権主義などは、システムを存続させるために始動した(システムの)はずなのにです。

 なぜそういうものが瓦解していくのかということと、ネットのシステムというのは基本的に同じではないのかということを今ふと思いつきました。これレトリックかもしれませんが、僕は感覚的にはかなり納得がいきます。そうするとどういうことかというと、“システムの中にいる我々”という風になってくると、ネット検索をするというのはシステムの中で検索している個でしかないわけです。

 またちょっと別の話をしますが、天才と呼ばれている人は地球を救ったことはありません。消費を拡大させただけです。なぜ彼らが地球を救うところまでいかなかったのかというと、頭だけで考えているからだと思います。

 質問者への答えになりますが、我々は実は社会的な動物、群れている動物です。ですから解決方法は1つだけあるのです。「自分が生んだ子は育てなければならない」ということです。ところが、僕自身がすでにそうなのですが、子どもが生まれてずっと毎日見守って暮らしてきた父親かというと、僕はまったく父親失格でした。仕事だけやっていましたから。それでは社会的な動物の行為をしていたとは、今になると思えないのです。

 ガンダムの中でも意識的に使っている言葉があります。“お肌のふれあい会話”と言います。肌と肌が触れ合うコミュニケーション以上のものはないはずなのですが、我々はそれを決定的に投げ捨てている種になってしまったのではないかと思います。

 社会的な動物である我々は、仲間と一緒に子育てをしていかなくてはなりません。しかし、子どもを見て育てるということをしない今の環境を考えた時、本来この環境を変えていかなければならないと考えなくてはいけないのですが、この簡単な命題に対してアクションすることを我々は忘れているのです。赤字を出した大会社の社長がいまだに高額の天文学的な給料をとることを恥と思っていない人類なんてもうおかしいでしょう。これ分かりにくいですかね?

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