宮崎駿は作家であり、僕は作家でなかった――富野由悠季氏、アニメを語る(前編)(3/3 ページ)

» 2009年07月08日 00時55分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]
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アニメや漫画を考えることで作品が作れるとは思うな

 巨大ロボットジャンルを30年続けてきましたが、そこには素晴らしいことがあります。どういうことかと言いますと、おもちゃとしてのマシン(メカ)、アニメーション的なファッション(を描けるだけではなく)、どのような性格のストーリーも描ける媒体であるということです。(だからこそ)この30年間、飽きることなくこのジャンルで仕事ができるようになりました。

 また、大人を対象とする物語では、内向する物語が許されます。現実という事情の中でのすりあわせしか考えない、社会的な動物になってしまう大人にさわらないで済む物語を作ることができた、という意味ではとても幸せだったと思います。また、大人向けを意識した時、「一過性的な物語になってしまう」という問題もあると思っています。(そうした物語から離脱できたことで)政治哲学者のハンナ・アーレントが指摘しているように、「独自に判断できる人々はごく限られた人しかいない」と痛感できる感性が育てられました。

 今の日本では、アニメや漫画はかなりの大人までが鑑賞しているものになっています。その風潮の中、僕のような年代が1つ嫌悪感を持っているのは、「アニメや漫画を考えることで作品が作れるとは思うな」ということです。つまり、「アニメや漫画が好きなだけで現場に入ってきた人々の作る作品というのは、どうしてもステレオタイプになる」ということです。必ずしも現在皆さん方が目にしているようなアニメや漫画の作品が豊かだと僕は思いません。

 だから、「もし、僕が次にガンダム的な作品を作らせてもらえるという機会があるならば」ということで設定したテーマがあります。先ほど名前をあげたハンナ・アーレントが指摘しているような意味での全体主義の問題が(世の中には)あるんだ、ということを物語の中に封じ込められる作品を、ロボットアニメやかわいいアニメで作ってみたいという野心を持つようになりました。

 「今のようなことが言える自分になった」という意味では、「ガンダムという作品は自分にとって、やはりとても大事なものであった」と思えます。また、そのような認識を手に入れさせてくれたという意味では本当に感謝しています。そして何よりもこのような作品を手に入れたからこそ、今日この場にも呼んでいただけたと思います。本当に心から感謝します。

 →後編に続く

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