君はベルクに行ったことがあるか? 新宿駅にある小さな喫茶物語(前編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(5/7 ページ)

» 2009年06月19日 08時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

「名職人たちの饗宴」は何をもたしたか?

 コーヒー、ソーセージ、パン、ビールなど各分野に第一級の職人をそろえた場合、得てして起こりがちなのは、1つ1つは確かにおいしいけれども、それぞれの味が主張し過ぎていて、味同士が喧嘩(けんか)してしまうという事態だ。ところが、ベルクの場合はそれがないという。

 「パン自体が主張せず、ソーセージを引き立てる役目を果たしていますし、またコーヒーとドックが、結果的にベストバランスになっているんですよ」と、井野さん、迫川さんは口をそろえる。

 確かにドックなど、繊細でジューシーなソーセージの味わいを減じることのないパンの味を実感する。

「名職人たちの饗宴」――これは、中長期的な視点から眺めるならば、次のような素晴らしい結果を招来する。

 人々の味覚は、時代の好みを反映するとともに、心身のコンディションによって変化していく。従って、飲食店が懸命な努力によって、長年にわたって全く変わらない味を創出し続けたとしても、逆にそのことが原因となって「あそこは味が落ちた」と評判を落とすことになりかねない。

 例えば世の中に減塩志向が普及していけば、同じ味の商品は、「塩辛くなった!」と言われてしまう。逆に温暖化などによって、スチームサウナのような職場環境で働かざるを得なくなると、それまでと同じ味の商品は「塩気が足りない」と感じてしまう。あるいは激辛ブームが到来し、みんながそれに慣れると、同じ味の商品は「パンチがなくなった」と酷評される。

 時として相互に矛盾する、こうしたファクターは、次から次へと非連続に現れ、しかも、それが一定の時空間において支配的な影響力を持ってしまう。それゆえ「あそこは、いつも変わらないおいしい味だね」と言われ続けるためには、上記のような環境変化に即応して、自らの味も現状否定型で変化していくことが必要になるのである。

 しかし何を変え、何を守るのか? その識別は非常に難しい。それを誤まったがために、店の経営を傾けてしまったところも多いだろう。

 ベルクの強みは、井野さんと迫川さんの“人徳”もあるのだろう。「やたら」こだわる名職人たちが、彼らの意地とプライドにかけて、その時代、その時代に適合した、まさに「どこにも真似できない」味を創出し続けている点にあると言って過言ではあるまい。

 そして、これこそが、名職人たちの饗宴がもたらす真の価値なのである。

ファジーなメニュー構成の「なぜ?」

 以上のようにベルクは、コーヒー、ソーセージ、パン、ビールなどを主力とし、それぞれに名職人を配して、味へのこだわりを追求するお店である。

 しかしメニュー構成が膨大な上、とらえ所のないものになっているのは、なぜなのだろうか? 井野さんは、その著書の中で次のように綴っている。

 「定番さえあれば、あとは『低価格・高回転』にとらわれず、例えばやや高めで希少価値のある商品とか、多少メニューに遊び心があった方が、お客様も、それを選ぶかどうかは別にして、選ぶ楽しみ(=満足度)が高まりますし、店の格もちょっと上がります」と。

 その遊び心とは、自分たちが感動した味を、それをまだ経験していないであろう顧客と、「わかちあいたい」という心のようだ。

 例えば、ワインや純米酒の場合。同じ著書の中で、迫川さんはこう記している。

 「(こだわりの純米酒をお出しするのは)ワイン会と同じ。みんなで分かち合おうという感覚ですね。あるいは私が趣味で買ってきたお酒を、私1人では飲みきれないから、お福分けするという気持ちです」

 こうして増え続けたメニュー。なぜ、メニューの入れ替えというか、効率の悪いものを順次外していかないのだろうか?

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